「“お母さん”のイメージを押し付けられたくなかった」金原ひとみが母親幻想に苦しんだワケ#令和の親
乗っ取られている状態から“私がここにいる”と感じた瞬間
――第2子を出産されてから、子育てで何か変化はありましたか。 金原ひとみ: 第2子が生まれて、すごく開けたような感じがあったんですよね。 2011年に第2子を出産時に、震災などがあってバタバタして、一時期岡山で兄夫婦と同居したんですよ。そこで初めて人を頼るという経験をしました。 コンビニに行く間だけ、「ちょっと見てて」と頼めるだけで“革命だ”って思ったんです。家を出るときは「ちょっと雑誌でも立ち読みしよう」と思ってても全然集中できなくて、結局すぐ帰ってしまうんですけどね。そのわずかな時間で、もう涙が出るほど救われたなと思いました。人を頼ったり甘えたりすることも必要なんだと初めて思えて、その意識の変化はすごく大きかったですね。 ――母というペルソナから解放されたと感じた瞬間はありますか。 金原ひとみ: 岡山のあと、フランスに住みました。フランスに住んで5年ぐらい経ったある昼下がりに本を読んでいる時、ふと「私がここにいる」「あ、なんか私だ」って感じたんですよね。 下の子が5歳ぐらいになった時だったんですが、おそらく、読書に集中するということが、その瞬間までなかったんだろうなと。 私は私だと、周りに対して尖った考え方をしていても、本当は全て乗っ取られている状態でした。母というペルソナを着けていなければこなせないようなものだったんでしょうね。 でも「私がここにいる」と感じられたことで、「人間って別に親になったり、何か仕事が変わったりしても、そんな変化するようなものじゃないんだな」という、人間の限界みたいなことを知った瞬間でもあったなと思います。 ――私がここにいると感じてからは、母というペルソナは着け外しするようになったんですか?それとも、仮面がなくなったのでしょうか。 金原ひとみ: ほとんどなくなったんじゃないかなと思います。たまに、子どもの帰りが遅すぎたり、お小遣いの金額の交渉を受けたりするときに、責任者としての顔を見せなきゃいけないじゃないですか。で、「ここはこうだからこうだよ」みたいな説明をしているときに、ちょっと仮面をかぶってるなって思います。でも、ほんとにそういうときぐらいですかね。 と言うのも、もともと私の性質としては、何か管理したり責任持ったりすることが向いているタイプではないので。 ――そのときのお子さんの反応はどうでしたか。 金原ひとみ: 普段はくだらない話でゲラゲラ笑い合っている関係性なので、子どもは「母の仮面を着けている、管理者としての私」に慣れてないんですよ。お互いに探り探りで、緊張しつつ、でも向こうもうまいので、やっぱ友達感覚のまま「お小遣い足りなーい」みたいな受け答えです。 私も向いていないんですけど、やっぱり管理する側、される側というような関係性自体が、現代社会に向いてない気もしますね。やっぱり事情があるなら聞くし、お小遣いが足りないんだったら交渉していくことは日常的にやっているし、やっていかなきゃいけないと思うんですよね。人と一緒に生きていくためには、一概に「普通は、こうだ」って決めつけることはできなくて、そんなことしたら本当にお互いにとって良くないと思うので、やっぱり対話を重ねて、お互いに理解し合っていくことが大事だと思います。