「“お母さん”のイメージを押し付けられたくなかった」金原ひとみが母親幻想に苦しんだワケ#令和の親
「母親というのは社会のものであって個人的な存在ではないと感じた」と語るのは、2003年に『蛇にピアス』でデビューし、同作で翌年の芥川賞を受賞した作家・金原ひとみさん。金原さんは鮮烈なデビューを飾ったあと、2007年と2011年に出産し、作家活動と並行して取り組んだ子育てで、助けを求められない状況にもがいた。当時の苦しさやフランスでの生活などを経て今感じること、“母親幻想”に苦しめられている当事者に伝えたいことを聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
「母親というのは社会のものであって、個人的な存在ではない」感じた“母親幻想”
――朝日新聞のコラム『母の仮面が苦しいあなたへ 「自分」は今もそこにいる』では、母というペルソナに苦しんでいる金原さんご自身の経験や葛藤が話題になりました。どういった苦しみが大きかったのでしょうか? 金原ひとみ: 第1子を出産したときに、世界が変わる感じがしたことが最も苦しかったです。 私はもともと小学校や中学校もほとんど行かなかったし、高校も中退しました。どこかに属することをせずに、15、6歳で家も出てしまって、何かと協調しながら生きていくことができなかったんですよね。その状態で、1つの生命の責任を持つ状態に置かれて、それまでの自分の信念や大事にしていたものを、全部度外視して生きなきゃいけなかった。 パートナーは仕事が忙しくて、育児にはほとんど参加していませんでした。周囲に子育てしている人もいなかった。誰も頼れる人がいない中、仕事も育児も全て一人でこなさなければならず、ボロボロでした。 ――周囲との交流はありましたか? 金原ひとみ: いわゆるママ友は、自分から拒絶していました。「母親というものはこうでなければいけない」といった母親幻想を押し付けられたりした経験から、「母である以前に自分である」という状態に固執していたところがあって、排外的な考え方になっていたんです。 “お母さん”のイメージを押し付けられたくないから、派手な格好で保育園に通ってました。「別に“お母さん”じゃないし」みたいな。 そうして外を歩いていると通りすがりの人から「母親なのにそんな格好して」みたいなことを言われたりするんですよ。母親になると、それまでは無視されていた、彼らの目に入らなかったものが、子どもを連れていたりベビーカーを押していたりするだけで、すごい非難の的になる。 だから母親というのは社会のものであって、個人的な存在ではないんだという世間の空気も感じましたね。