【特集】マグヌッセン以前に出場停止を食らった7人のF1ドライバー……その“罪状”は何だったのか?
1997年:ジャック・ビルヌーブ
続いてのケースは、1997年のジャック・ビルヌーブ(ウイリアムズ)。フェラーリのミハエル・シューマッハーとシリーズタイトルを争う最中、シーズン終盤戦に出場停止となったこともあり、チャンピオンシップの行方にも影響を与えかねない出来事だった。 出場停止の原因となったのは、日本GPフリー走行での黄旗無視。ビルヌーブ以外にも多くのドライバーが同様の違反をしており、全員に執行猶予付きの出場停止処分が科されたが、ビルヌーブだけが過去に同様の違反を複数回行なっていたため、日本GPの決勝レースで出場停止が適用されることになった。 チームは裁定を不服として控訴した上、レースまでに公聴会を開く時間がなかったため、ビルヌーブはひとまず決勝に出走することを許された。レースを5位でフィニッシュしたビルヌーブだったが、その後FIAが控訴を棄却したため失格に。出場停止ながら厳密にはレースに“出走”したものの、後にそれが認められなかったというレアケースだ。
1994年:ミハエル・シューマッハー
7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハーがベネトンで初めてのタイトルを獲得したこのシーズン、シューマッハーは最終的に2戦の出場停止処分を受けた。その引き金となったのが、イギリスGPであった。 同レースのフォーメーションラップ中、シューマッハーはポールシッターであるウイリアムズのデイモン・ヒルが遅かったことに業を煮やしてか、ヒルを追い抜いてしまった。これにより5秒のストップ&ゴーペナルティが科されたが、チームが抗議している間これを無視。ペナルティ不履行で黒旗(失格)が出されてしまった。 その後ベネトンはシューマッハーをピットロードに迎え入れ、5秒ペナルティを消化させてレースに復帰させたが、結局失格に。2レース出場停止の処分まで下った。ベネトンは控訴したため処分はすぐには執行されなかったが、ベルギーGPでもスキッドブロック違反で失格となると、直後の2レース(イタリアGP、ポルトガルGP)で出場停止を消化した。