『虎に翼』の家族とジェンダーから見えるもの。家制度の亡霊と、「いま」を描く物語(評:竹田恵子)
現在と未来の家族
日本は1985年、女子差別撤廃条約に批准し、同年に男女雇用機会均等法が成立したが、同時に労働者派遣法と第三号被保険者制度も成立していることはいくら強調してもしすぎることはない。建前上、女性も男性と同等に働くことができるようになったものの、同時に妻がサラリーマンである夫の扶養に入れば税制上の優遇措置が受けられるようになった。このような税制の設計は1980年代を通じて「家庭基盤の充実」を掲げて漸進的に行われ、「男性稼ぎ主」と「主婦」というモデルが優位となった(大沢 2007)。労働者派遣法は、非正規雇用の派遣社員でも働くことのできる職種を増やす規制緩和によって、雇用の安定性を奪った。 また、男女雇用機会均等法以降も女性が「男並み」に働いてこそ一人前、という規範はなかなかなくならず、男性の労働強度は相変わらず高いまま、さらに家事や育児の負担も減ることはない。いまや、家族は機能と期待を積まれ過ぎた箱舟である。 もうひとつ、強調したいことがある。この物語はいまを描いている。舞台は戦前から戦後を描くが、日本国憲法の改憲の動きがあるなか、日本国憲法の朗読から物語が始まり、いまに通じる物語を描いている、ということだ。そして、自民党改憲草案には家族についても含まれている。自民党改憲草案の第二十四条は「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」が新設となっている(自民党 2012)。 家族の助け合い、といえば一見美しいが、梅子の嫁ぎ先の例のように、現実的には弱い立場の者に家事・育児・介護が押し付けられるという側面を無視することはできない。現在でも妻に家事・育児が偏りがちなところにこの憲法が設けられたらどうなるだろうか。 不平等な関係は家族から始まり、不平等の再生産もそこで行われる。家族とはもっとも日常的なものでありながら、もっとも政治的なアリーナなのである。