気持がしぼんでも翌朝には「きっと大丈夫」と思わせてくれるマンガ はかなくもたくましい露草のような日常を描いた『ツユクサナツコの一生』(レビュー)
父と二人で実家に暮らす32歳のナツコは、社会の不平等にモヤモヤし、誰かの些細な一言に考えをめぐらせながら、淡々と漫画を描き続ける。その日常を描いたのが、第28回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した漫画『ツユクサナツコの一生』(新潮社)だ。 【マンガ】『ツユクサナツコの一生』第1話を読む 著者はイラストレーターの益田ミリさん。淡々と日々を送る登場人物たちの何気ないセリフにはっとさせられ、予期せぬ展開に心を揺さぶられる本作の魅力とは? 「代官山 蔦屋書店」のコンシェルジュで文学担当の間室道子さんの書評を紹介する。 *** 舞台は2021年、コロナ禍でマスク生活二度目の春。主人公の橋田ナツコは32歳で、リタイア生活満喫中らしいお父さんと実家で二人暮らしをしている。ドーナツ屋でアルバイトをしながらネットに漫画をあげており、彼女が描く「おはぎ屋 春子」が差しはさまれながら物語は進行する。 ナツコと春子は同年代で、日常のエピソードもよく似ているのだが、面白いのは、ナツコが春子に驚かされたり学んだりすること。ある回で「春子、アンタの生き死には作者のわたし次第やで」とナツコが言うように、ふつう書き手は登場人物の思考や運命を握っているものだ。でもナツコは「春子の親 出てきたか」とふむふむ思ったり、「最後のコマ、春子、なに言いたい?」と呼び掛けたりする。 「分身」や「こうなりたかった自分」というより、春子はナツコにとって、あたらしい視線なのだろう。たとえばバイトからの帰り道、ランドセルがピカピカの1年生を見て「この子らを食べ物にたとえるとしたら……口に入れたばっかりの真新しいガムとか?」とナツコは考える。そして毎日家にいて、目いっぱい倒した座イスに身をあずけて本を読んでいる父の姿を見て「うちのオトンは味がなくなったガム」、そして「わたしも今はすでに薄味」と位置付けたあと、「うーん そう、なのか?」となる。めぐる思いに道すじがつくのは、漫画の中である。大人と赤ん坊、「命大切!!」という気持ちが沁みているのはどちらか、春子が教えてくれる。 またある日、「セミて仰向けに死ぬらしいで」「空見て死ぬてええかもなぁ」と話しかけてきたお父さんに、ナツコは「セミ、背中側に目あるやん? 空は見られんのとちがう?」と返す。だが漫画の春子は、おはぎを買いに来たお客さんに、セミの最後のまなざしについて、意外な見方を学ぶ。 認知症になったらしいドーナツ屋の常連のおじいさんや、マスクでお互いの顔を知らないまま一緒に働いていた大学生の女の子も登場。自ら描いたものを読むことで、ナツコはいまいちど己を整えていく。事実は変わらない。でも視線を変えることで、世界は広がるのだ。 初めて益田ミリを読む人は驚くかもしれないけど、ほんわかした画でユーモアまじりに描かれる核にはシビアな眺めがある。本作にも、終わるどころかひどくなっていくように見えるコロナ禍、格差社会などが登場。「描くか」と机に向かうナツコの姿に味がある。そしてある回で彼女の手が大映しになり、そのあとしばらくして、今度は読者と全身が重なるようにぐーっと寄ったあと……。 ナツコのペンネームは「ツユクサナツコ」といい、本書の冒頭には「ツユクサ(露草)……小さな青い花弁。朝咲いて昼にはしぼんでしまう、はかない花」とある。彼女が初めて自分を描いた漫画「ツユクサ日記」の中にも、この花への思いがでてくる。