「自分の葬式をイメージして」夢がなく惰性で生きる人生に不安を抱く27歳に、がんを患った50代男性が伝えた真意とは
将来の夢について考える
私は、東京都板橋区の小学4年生に向け「2分の1成人式」という授業をやっています。「10歳のときに『将来何になりたいか』を考えよう」という内容で、子どもたちにできるだけ具体的に夢を描いてもらいます。 この授業を始めた頃は、プロサッカーの選手、学校の先生、トリマーなど私にもよくわかる仕事が並びました。ところが、コロナ禍以降は、ユーチューバーの数がぐっと増えました。それも「教育系ユーチューバー」や「ビジネス系ユーチューバー」と細かくセグメントされています。 続いて「eスポーツプレイヤー」「ゲームクリエーター」になりたい人が増えました。「医者」も多くなったのですが、理由を聞くと、「コロナのような事態になっても食べていける」という答えが返ってきた。将来の夢が、時代や環境に大きな影響を受けることを目の当たりにしました。 あなたは、小学4年生の頃に、どんな夢をもっていたでしょうか。 今でもその夢を実現したいと思いますか? もし、今でも実現したい! と思っていたらすてきなことです。しかし、多くの人は、当時と今とで夢が変わっているのではないでしょうか。 私は、それでいいと思う。 当時は、生きている世界も小さかった。その上、時代や環境の影響も受けていた。 だから違って当然です。 夢は、常に暫定的なもの。仮にしばらく置いておくようなものだと私は考えます。 だから今日の夢が、明日実現しなくても構わないし、明日には明日の夢があればいいと気楽に考えています。
弔辞で読んでもらいたいこと
しかし、その暫定的な夢すらもてないのが、今のあなたなのかもしれません。 器用貧乏がゆえに、なんでもソツなくこなしてしまう。そこそこの夢を実現できる人は、大きな将来の夢を考えるのが苦手なものです。 私も長く同じような状態でした。 広告会社で可もなく不可もなく働いていて、「このまま人生は、あっという間に終わってしまうんだろうなぁ」なんて考えていたのです。 しかし、そうは問屋が卸さなかった。 50代で「がん」を患い、幸いなことに復帰はできたものの、「ぼんやりとした不安」にさいなまれたのです。 「このまま、時間を消費しているだけで、いいのか」 「せっかく再びもらったこの命を、無駄遣いしてもいいのか」 そんなときに出会ったのが、ハワイ大学名誉教授の吉川宗男さんでした。長く哲学を教えていた先生がこんな話をしてくれたのです。 君の葬式のシーンを考えてほしい。 君は自分の葬儀をじっと見ている。 一番の友人が、弔辞を読んでいる。 さて、そのとき、君は、どんなことを読まれたらうれしいだろう。 周囲からどんな人だと思われ、何をやった人だと言われたいだろう。 その弔辞こそが、君の「夢」なんだ。 その夢から逆算して、これからの生活を考えていけばいい。 私は、この言葉に衝撃を受けました。 自分のお葬式をゴールにして、人生を考える。さっそく、これをやってみました。 そして吉川先生に言われたもうひとつのこと。 「自分の墓碑銘になる言葉を考えなさい」 墓石に刻まれる、自分の一生を表現する言葉です。私はこれも真剣に考えました。 「弔辞」と「墓碑銘」。この2つをリアルに考えることで、私は小学生のような夢から脱し、腹の据わった生き方を手にしました。 具体的なことをこまごまと書く必要はありません。 スティーブ・ジョブズなら、「宇宙を凹ませる人」と書いたでしょう。私は、「言葉の力で人を笑顔にした」と考えました。 ぼんやりでいい。あなたの実現したい夢を言葉にしてみてください。