石破自公「少数与党」経済の悲惨な末路…!バラマキ政策連発の放漫財政でインフレが悪化、実質賃金の上昇は不可能に
今回の衆議院選で自民・公明連立与党が過半数割れになり、今後の政策運営は極めて困難になった。財政経済政策では無原則のばらまきが行われ、財政赤字が拡大する危険がある。その半面で、金融の正常化が進められなくなり、インフレが悪化するおそれがある。日本経済は、重大な危機に直面している。 【写真】自公過半数割れ、連立政権風前の灯火で「経済」は後回し!
少数与党による部分連合
衆議院選における自民党・公明党の惨敗によって、日本の政治状況が大きく流動化し始めた。 石破首相は、連立の枠組みを拡大することを考えているという。しかし、これは、簡単にはできないだろう。事実、立憲・維新・国民の各党は、自公連立政権に加わることを否定している。 来夏に議議院選が予定されていることを考えれば、これは当然の判断だ。自民党への批判が高まっている状況で連立入りすれば、参議院選において票を失うことがほぼ確実だからだ。 そうだとすると、自公与党が過半数にならない「少数与党政権」が誕生する可能性が高い。 その場合には、政策ごとに野党の協力を求める形態をとらざるを得ないだろう。これは、「パーシャル連合(部分連合:partial coalition)」と呼ばれているものだ。日本でも、これまで何度か行われたことがある。 今回の場合は、立憲、維新、国民民主が、連立入りはしないが、個別政策で自公与党と政策協議し、合意した予算案や法案については賛成するという形態が考えられる。 なお、維新や国民は、連立は否定しているが、部分連合は否定していない。石破首相は、経済対策について国民民主に打診と報道されている。
過去の非自民党内閣時より深刻
戦後の日本で、自民党が政権を継続できなかったことが2回ある。 第1回目は、1993~1994年の 非自民・非共産8党派連立政権だ。1993年6月の宮澤内閣不信任案が、自民党の反主流派・羽田派の造反によって可決され、衆議院が解散された。そして、1993年の総選挙後に細川内閣(93年8月~94年4月)が、続いて羽田内閣(94年4月~6月)が成立した。羽田内閣の後の、村山内閣で自民党は政権に復帰。これは「自社さ(自由民主党・日本社会党・新党さきがけ)連立政権」(94年6月~98年6月)とも呼ばれた。「1955年体制」における対立軸であった自民党と社会党が連立政権を作ったという意味で、画期的なものだった。 第2回目は、2009~2011年の民主党政権だ。自民党は公示前に300あった議席が119に激減し、1955年の結党以来、初めて第1党の座を失った。これに対して、民主党は公示前の115から308まで議席をふやし、単独過半数(241議席)を大きく上回った。民主党は、社会民主党・国民新党とともに、連立政権(鳩山内閣と菅内閣)を作った。 これらのいずれの場合にも、国民の側から見れば、新しい政治体制への期待があった(実際には、その期待は満たされなかったのであるが)。 しかし、今回の政治状況は、これらとは異なる。多数勢力が存在しない(あるいは、作れない)ので、重要な決定ができない。政策の中身によらず、どんな政策も実行が難しいということになってしまう。極言すれば、「何もできない」という事態に陥る危険がある。この意味で、現在の状況は、これまで日本が経験したことのなかった新しい事態だ。 こうした状況は外国ではしばしば見られるが、戦後の日本では初めての事態だ。日本はいま重大な危機に直面している。