とよた真帆「闘病する夫・青山真治の前で明るく振る舞うも、愛犬に見つからない場所で泣いたあの日。芸能活動40周年。やりたいことは今から始めなければ間に合わない」
女優業のかたわら、レストラン経営や盲導犬協会理事など、幅広い活動を続けているとよた真帆さん。芸能活動40年目を迎えた今年、歌手デビューも果たしました。とよたさん曰く「興味のあることにはなんでも突き進んでいく」その理由とは──。(前後編の後編/構成◎藤澤志穂子 撮影◎本社 奥西義和) 【写真】とよた真帆「(夫は)豪快で命を縮めるようなお酒の飲み方もしていたけれど、65歳までは生きようとしていたんだなあと。」 * * * * * * * ◆夫が抱えていた最大の悩み 芸能生活40年目の今年果たした歌手デビュー。 発表したアルバム『WILDFLOWER』は、2年半前に旅立った夫・青山真治が遺したシナリオ『東京酒場』が実現したときに使える歌、というコンセプトで作りました。とある音楽バーで繰り広げられる人生劇で、少し面白くてハードボイルドな内容です。 映画業界も、いろんな配信サービスが出てきてから、製作費が集められず、作品を撮ることが難しくなってきていました。生前の夫にとっての最大の悩みはそこにありました。 京都の大学で映画学を教える機会を頂いて、張り切って取り組んではいたのですが、やっぱり本業は映画監督。アイデアは沢山あるのに撮れない。だから自暴自棄になり、お酒に走ってしまう、ということはありました。 心配で何度も注意したんですけど、きいてくれなくて……。 『作りおき酢タマネギ&酢大豆おいしいレシピ』(主婦の友社、2015)という本を前に出しているのですが、これももともと青山のために考えた健康レシピをまとめた本でした。
◆愛犬の来ない場所で泣いて たとえばYouTubeなどで自主製作した作品を発表することもできたはずだし、実際わたしが機材をそろえて「やってみたら」と勧めたこともあったんですよ。でも、やっぱり映画の現場を愛していたんでしょうね。 心臓で大病をし、集中治療室に入って生還したかと思ったらガンが見つかって……。 闘病は公表しませんでした。後で治ったときに「ガンでした」って言えばいいかな、って。 でも病状が厳しくなっていって、私に気を遣っていたのか、痛いとか辛いとかは一切言いませんでしたね。 コロナ禍の時期と重なり、思うように会えないこともありましたが、青山の前ではできるだけ明るく振る舞っていました。 やっぱり辛くて、家に帰って泣く、ということは何度もありましたが、愛犬ぱるるの前では泣けない。 犬も雰囲気を察知して、ストレスで毛が抜けてしまったりするんですよね。なので自宅のなかでぱるるに見つからない、泣ける場所を探したりしてました。 いよいよ、というとき、青山には「お世話になった方々への手紙を書いてほしい」と伝えたんです。でもそうしようとはしなかった。 自分の作品がある、それがすべてだから、と考えていたのかもしれません。