伊藤比呂美「魔法の言葉──死んだ夫を送る歌」
詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫2匹(メイ、テイラー)と暮らす日常を綴ります。今回は「魔法の言葉──死んだ夫を送る歌」。長い付き合いの友人ダイアンの夫ジェリーが死んだ。ジェリーは8年前に亡くなった夫と出会うきっかけとなった人であり、詩人だった――(画=一ノ関圭) * * * * * * * ダイアンは友人であり、隣人であった。夫の弟の妻がいればこんなつきあいだったろうし、あたし自身の母方の、母たちとはうんと年の離れた叔母さんみたいな気もしていた。カリフォルニアに住んでいた二十数年間、ダイアンとはそんなふうに親しかった。 過去形で書いてるが、ダイアンが死んだわけではない。その夫が死んだのだった。夫はジェリー。詩人である。 三十年近く前、あたしは北米先住民の口承詩(紙に書かれず声で伝えられていくうた)を知りたくて、その研究で有名な詩人、ジェリーを頼ってカリフォルニアに行った。そしたらついでに彼の隣人で友人で、大学の同僚のイギリス人のアーティストに出会って恋に落ちた。それが八年前に死んだ夫だ。 ジェリーの隣にはつねにダイアンがいた。いやむしろ書斎にこもりっきりのジェリーより、ダイアンのほうがより積極的に人と関わった。手のかかる夫のサポートを全面的に引き受け、家事全般ひとりでこなし、ひんぱんにディナーパーティーを開き、人を招き、大量に料理し、どんな人とも、怖じずに、何についてでも、いくらでも、しゃべる。こんなに鋭くて現実的で有能な人はめったにいない、とあたしはいつも感心していた。
ジェリーとダイアンはNYの同じ地区の幼なじみの同い年だった。二十一歳のときに結婚して、今年は九十二歳、それまでずっと夫婦だったのである。 ふたりとも超人のように元気だったが、じょじょに衰えはやってきて、ダイアンは去年脳梗塞をやったし、ジェリーは入退院をくり返していた。 脳梗塞以来、よくしゃべるダイアンは言葉が出てこなくなった。その頃あたしはちょうどカリフォルニアに一時帰って、それを間近に見たのである。ダイアンはほんとにもどかしげだった。隣でジェリーが、ダイアンの言おうとしている言葉を察知して口に出した。ダイアンはそうそうと言いたそうにうなずいたり、先に言われてしまうのをうるさがったりした。これも夫婦のかたちだなあと思って見ていたものだ。 ジェリーにはもともと、ダイアンがしゃべっていると、無意識なんだろうが、その声にかぶせて同じことを話し始める癖があった。そして他の誰にも負けないほどよくしゃべるダイアンなのに、ジェリーがしゃべり始めると、すっと引いた。それがいつも不思議だった。「育ったのがそういう時代だったのだ」とダイアンが無念そうに、しかたないというように言ったことがある。