なぜ悲願の金メダル(400m・車いすT52)を獲得した佐藤友祈は感動の大逆転に成功し泣いたのか…「このパターンが激アツ」
スタートからハンドリムを全力でこいでいけば、いまも肩から手先まで残る麻痺もあって左腕が、さらには身体全体がもたなくなる。後半に強い長所を生かすためにレーススタイルを変え、周囲の協力をえて減量にも取り組んだ理由がここにある。 新型コロナウイルス禍で、東京五輪とともに東京パラリンピックも1年延期された想定外の状況下で、自らがプレーする環境も180度変えた。 佐藤は2014年に練習環境を求めて、北京、ロンドン両大会に出場している車いす陸上の現役選手、松永仁志に師事するために藤枝市から岡山市へ移住。2016年からは人材派遣関連会社にフルタイムで勤務しながら、松永を監督兼選手として同社が設立した車いす陸上部WORLD-ACの所属メンバーとして活動してきた。 仕事と競技を両立できる恵まれた環境に不満はなかった。むしろ感謝の思いでいっぱいだった。ただ、自国で開催される一世一代の晴れ舞台、パラリンピックが近づいてきている状況を考えたときに、車いす陸上のトップアスリートの一人になった佐藤は、パラスポーツ全体の認知度をもっと上げなければいけないと考えた。 弾き出された結論は、車いす陸上競技だけで生計を立てられるプロアスリートへの転向だった。そして、佐藤が抱く思いに共感し、今年1月に所属契約を結んだのは文字フォントの開発・販売をてがけ、視覚障害者向けの書体作りにも積極的に取り組んでいる株式会社モリサワ(本社・大阪市、森澤彰彦代表取締役社長)だった。 プロとして結果を出し続けることで、見ている人々の心に何かが響けば。あえて険しい道を選んだ佐藤はパラリンピックの金メダリストになった瞬間、そして表彰台の真ん中で名前を呼ばれた瞬間に右手で雄々しくガッツポーズを作っている。 さらに表彰式ではサプライズがあった。プレゼンテーターを務めた国際パラリンピック委員会の特別親善大使で、タレントの香取慎吾さんと浅からぬ縁があったからだ。 プロ転向後のチーム名『prierONE(プリエワン)』は、新聞の対談で意気投合した香取さんが命名していた。表彰式の詳細を知らなかった佐藤は、香取さんから「しびれた。かっこよかった」という言葉とともに渡された金メダルに感無量の表情を浮かべた。 「ずっしりと、すごく重たいです。パラリンピックで敗れた借りは、パラリンピックでしか返せないとリベンジを誓ってきました。その分の(5年間の)重みと、そして今回はこのコロナ禍という特殊な環境下で大会を開催していただいて、みなさんの協力なしではこのメダルを勝ち取ることはできなかったので、とても感謝しています」 戦いはまだ続く。世界選手権を連覇し、世界記録保持者にもなりながら、前回リオデジャネイロ大会でマーティンに敗れて銀メダルだった男子1500mが29日に待つ。 「世界記録と一緒にしっかりと金メダルを取りにいきたい」 400mに関しては3年後のパリ大会での連覇に、世界記録更新で華を添えると宣言した。世紀の大逆転で日本中を興奮させた佐藤は、勝利と記録の二兎を追う有言実行を今度こそ実現させるために、午後8時42分の号砲へ向けて心身を集中させていく。