『源氏物語』はどのようにつくられたか?―林望『謹訳 源氏物語 一 改訂新修』
大河ドラマで注目が集まる『源氏物語』。この大きな物語の序盤に出てくる、いわゆる「雨夜(あまよ)の品定(しなさだ)め」は、源氏物語で展開されるさまざまな恋物語の予告編のような役割を担っている。この「雨夜の品定め」から、源氏物語がどのようにつくられていったのかの手がかりを読み解いてみよう。全五十四帖の現代語訳『謹訳 源氏物語』(全十巻)の著者林望さんの「訳者のひとこと」からお届けする。 ◆「雨夜の品定め」という構想 源氏物語のような巨大な物語が、一朝一夕に出来たわけもなく、おそらく何年もの時間をかけて、次第に今の形になってきたのであろうけれど、その過程が実際どういうものであったかということには、まことに紛々(ふんぷん)たる諸説があって、未だによく分かってはいない。 ただ、桐壺から藤裏葉までの巻々を第一部、若菜上から幻(もしくは、本文は無いけれど雲隠まで)までを第二部、そしてそれ以下を第三部というふうに大きく分けて考えるのは、まず定説となっている。 そのそれぞれのなかが、どのような順序で書き継がれたのかということにも、また諸説あって、結局のところははっきり分かっていないのである。 さて、あの『帚木』の巻の中核をなしている、いわゆる「雨夜の品定め」という部分は、それがいつ書かれたのかという詮索はひとまず措(お)くとして、この第一部に展開されるさまざまの恋物語のモチーフを提示するという意味を持っている。 左馬頭という、この品定めの主導者は、他には出てこない人物で、その出自(しゅつじ)もなにも分からないが、ただ、驚くべき率直さと、無類の饒舌を以(もっ)て、滔々(とうとう)と女性論を演説し続ける。その色好みの博士とも言うべき饒舌のなかに、男女の関わり方の、いろいろな形が現われてきて、それを源氏は、半分狸寝入りなんかしながら、ただじっと聴いているということになっている。 ここで源氏が耳にした「女の諸相」が、その後の、空蟬、夕顔、紫上、末摘花、花散里、明石の君、そのほかの「意外性のなかに発見された女たち」となって、造形され、展開されていくことは、たしかに認めてよい。 「ものがたり」という言葉は、もともとナレーションという意味である。誰かが、口頭で面白可笑(おもしろおか)しく、あるいは哀しくしんみりと、物語っていった、そういう様式をとった創作が、「ものがたり」である。源氏も、むろんこのスタイルであって、ときどきその語り手が、生々しく顔を出して自分の意見を述べるところがある。これを「草子地(そうしじ)」という。 こんなところを、読みながら、物語が創作され、物語られた「場」を想像してみる。おそらくは、紫式部に代表される作者が、ちょっとしたまとまりのある「はなし」を物語る。それを受容しているのは、聴聞者としての「読者」である。彼らは、話者の声や表情や、場合によっては所作(しょさ)までも含んだ、パフォーマンスとしての語りを、固唾(かたず)を呑(の)んで聴いたのであろう。 その時に、登場人物の誰彼について、……たとえば、夕顔の巻の冒頭、いきなり、「六条わたりの御しのびありきの頃」という形で、何の説明もなく、六条御息所が登場するのだが、その時は、大した存在感もない……ふとこの六条の人とは誰だろうと、聴聞の誰かから問われたりするようなことがあると、そこから、こんどはその六条の御方について、詳しい物語が展開する、というようなことがあれこれあって、次第にさまざまの物語が創作され、語り継がれていく、などという形で、物語は、成長していったのであろう。 帚木の巻は、そういう意味で、多くの登場人物の出現をそこはかとなく予告するという意味を持っている。 こんなふうに、左馬頭やら藤式部の丞やらの口を借りて語られる、かなりコミカルで時にしんみりした饒舌のなかから、深刻にして重厚な源氏物語の世界が紡ぎ出されてくることを思うと、ちょっと面白い。しかも、藤式部の丞の語った博士の娘、などという奇矯なる女の描き方を読んでいると、もしやこの人物像のいくぶんかは、紫式部自身の戯画化であろうかとも思われて、ますます興味津々たるものがある。そう思って見ると、藤式部という人名には、どこか紫式部との近縁を思わせるところがあるとも見えるのである。 [書き手] 林望 [書籍情報]『謹訳 源氏物語 一 改訂新修 』 著者:林望 / 出版社:祥伝社 / 発売日:2017年09月13日 / ISBN:4396317166
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