70代女ひとり、医師に必要なのは「人徳」と知る。認知症の母から、その言葉の深さを学んだ。1人の先生の名前を連発して乗り切った日々
◆2.毎日、医院に行こうとする 私は思いついた。母は自宅近くの松野(仮名)医院の松野院長を信頼していた。 母は60代の時に、難病の父を自宅で介護していて、松野院長が往診に来て、母の体調にも気を配ってくれていた。介護を続ける母にとって、松野院長は強い味方だった。その後、父は松野院長の手を離れ、難病専門の病院に入院した。 2年後、私は父が亡くなったことを松野院長に報告に行くと、「お母さんは大丈夫なの?」と母のことを聞かれた。松野院長によると、患者である家族の死を、医院に伝える電話をかけてきたとたんに、介護をしていた家族が疲れが一気に出て電話口で倒れるケースがあるとのことだった。 母は70代に入ると、松野医院によく行くようになった。 母は便秘がひどいので、認知症になってからは、私が母を松野医院に連れていった。 困ったのは、私が会社に行こうとすると、母は毎朝、「今日は松野先生に行く日だわ」と出かける支度をすることだった。そのため私は、松野院長に内緒で、母が聴診器で診察を受けている時に、小型カメラで素早く母の斜め後ろから、松野院長の顔が見えるように写真を撮った。松野院長は写真撮影に気づかなかった。さらに、松野医院の前に母を立たせて、写真撮影をした。 母が松野医院に行こうとすると、私はその2つの写真を見せて、「昨日、診察をしたでしょ」と言い、母にあきらめさせてから会社に行った。
◆3.松野院長の名前を勝手に連発 私は、老人ホームの看護師さんに、次の血液採取の日時を聞いた。 他にも血液採取や診察をする入居者がいて、下の階から入居者を医師が順番に診ていくので、母のいる上の階までは時間がかかるのだと、看護師さんに言われた。 医師が来る日、私は老人ホームに行った。母に「松野先生は重症の患者さんの往診に行き、今日は来られない。代理の先生が来て血液を採るから、大人しく言うことを聞いてね」と言った。母は「そうなの」と理解した。 その週末に施設の看護師さんに聞くと、「お母さんは今回、自分から腕を出して、暴れませんでした。どうなっているのでしょう」とのことだった。 その後、母は意識不明になり、大きな病院に救急搬送されて、入院することになった。担当の医師は誠意のある人だったが、母は我儘を言っていた。それで私はまた松野院長の名前を勝手に使い出した。 「松野先生がお母さんのことを、この病院の先生や看護師さんに頼んでくれたから、みんなの言うことを聞かなくてはいけないよ」と言った。母は大人しい患者となった。 別の病院に転院するときも、「松野先生のすすめだ」と母に言って納得させた。長距離の移動中も母は静かだった。 コロナ禍になる寸前に母は亡くなった。私は松野院長に報告に行き、診察室で撮影した写真を見せて、内緒で撮ったことを謝った。そして、医院の前で撮影した母の写真も見せた。 すると松野院長は、医院の前の写真を両手で持って眺め、「うん、うん」と何度もうなずいていた。その目は優しく、まるで、母の話を熱心に聞いているようだった。 認知症になっても母が松野院長を忘れなかった理由が分かった。 母は松野院長に「人徳」を感じていたのである。
しろぼしマーサ