菅官房長官が会見 総裁選出馬を表明(全文1)活力ある地方をつくっていきたい
38歳で横浜市会議員、47歳で国会議員に
いったんは民間企業に就職しましたが、世の中が見え始めたころ、もしかしたらこの国を動かしているのが政治ではないか、そうした思いに至り、縁があって横浜選出の国会議員、小此木彦三郎先生の事務所に秘書としてたどり着きました。26歳のころです。秘書を11年務めたところ、偶然、横浜市会議員選挙に挑戦する機会に恵まれ、38歳で市会議員に当選しました。そして地方政治に携わる中で、国民の生活をさらに良くしていくためには地方分権を進めなければならない、そういう思いの中で国政を目指し、47歳で当選させていただきました。地縁も血縁もないところから、まさにゼロからのスタートでありました。 世の中には数多くの当たり前でないことが残っております。それを見逃さず、国民生活を豊かにし、この国がさらに力強く成長するためにいかなる改革が必要なのか、求められているのか、そのことを常に考えてまいりました。 その1つの例が洪水対策のためのダムの水量調整でした。長年、洪水対策には国交省の管理する多目的ダムだけが活用され、同じダムでありながら経産省が管理する電力ダムや農水省の管理する農業用のダムは台風が来ても事前放流ができませんでした。このような行政の縦割りの弊害を打ち破り、台風シーズンのダム管理を国交省に一元した結果、今年からダム全体の洪水対策に使える水量が倍増しています。河川の氾濫防止に大きく役立つものと思います。 もう1つの例は携帯電話の料金であります。国民の財産である公共の電波を提供されるにもかかわらず、上位3社が市場約9割の寡占状態を維持し、世界でも高い料金で約20%もの営業利益を上げております。私がおととし携帯電話料金は4割程度引き下げられる余地があると表明したのも、このような問題意識があったからであります。事業者間で競争がしっかり働く仕組みをさらに徹底していきたい、このように思います。 現場の声に耳を傾け、何が当たり前なのかを見極めて判断をし、そして大胆に実行する。このような私の信念はこれからも揺らぎません。秋田の農家で育った私の中には、横浜市会議員時代も、国会議員になってからも、地方を大切にしたいという気持ちが脈々と流れております。活力ある地方をつくっていきたいとの思いを常に胸に抱きながら政策を実行してきております。