「正しく理解していない専門家も多い」。今、免疫学の第一人者が「免疫の基本」の書を出版する理由
──科学的なリテラシーとは? 宮坂 「リテラシー」とは一般的に読解力や理解力を意味する言葉ですが、「科学的リテラシー」というのは、科学に関する情報を咀嚼し、理解し、必要に応じて正しく判断し、発信できる能力のことです。 具体的に言うと、「新型コロナワクチンを接種した人が〇人死亡した」という情報があったとします。これに対して、単純に「ワクチンを打った人が〇人も死んだ!」と、その情報が示す表面的な部分に振り回されるのではなく、「それがほかの原因によるものではなかったのか?」「何人が接種し、どのくらいの割合の人が亡くなったのか?」「その割合は同時期に接種しなかった人の死亡率と比べて多かったのか?」など、情報の中身をよく吟味する必要があります。このような基本的な問いを発するためには基礎的な知識が必要ですが、そのような知識を一般の方々にも身に付けてほしいと考えたのです。 ──いわゆる「専門家」も正しく理解できていない、あるいは最新の知見にアップデートできていない免疫学の知見を、一般の読者にもわかりやすく紹介するというのは、簡単ではない気がします。 宮坂 そうですね。そこで本書では、免疫の基本から最新知識までを幅広くカバーしながら、身近で具体的な50の問いを設けて整理し、免疫学にまつわるさまざまな風説や考え方、素朴な疑問などをフックに、わかりやすく答えてゆくQ&Aの形で構成することにしました。 項目ごとに、その部分だけを読んでも内容を理解できるように書いたので、読者のみなさんは必ずしも50のQ&Aを頭から順番に読む必要はありません。すでに知っているところは読み飛ばしてもいいですし、自分が気になるQを選んで、そこから読み進めても構いません。読みやすさや手軽さが本書の大きな特徴であり、私としては「わかりやすさ」ということにかなりの注意を払ったつもりです。
■自然免役と獲得免疫の違い ──そもそも免疫と何か? という基本的なところから聞きたいのですが、いわゆるウイルスや細菌などの病原体を含めて外から入ってくる異物が、自分の体に悪い影響を与えないために働く、人間も含めた生物が持つ仕組みといった理解で間違っていないでしょうか? 宮坂 そうですね。それは一部正しいのですが、一方で「異物」は外来性とは限りません。またほとんどの人は、免疫が感染症に対して働く仕組みだと思っているけれども、必ずしもそうではありません。 例えば、「がん」がそうですが、がん細胞のように、自分の細胞が変化して身体の中にできた「悪いもの」を排除しようとするのも免疫の働きですし、花粉や食物に対するアレルギーも、免疫の仕組みによるものです。 ちなみに、免疫反応には大きく分けて二段階あります。まず「自然免疫」。これは、ほとんどの人が生まれつき持っている免疫で、いろいろな細菌やウイルスなどの異物に幅広く働いて、外から入ってくる細菌やウイルスを身体の入り口で食い止めようと殺したり、その数を減らしたりします。いわば「門番」のような免疫です。 ただし、この自然免疫は個人によって大きな差があって、自然免疫が強い人ではそれだけで病原体を追い出します。一方、自然免疫が弱い人のところに病原体が入ってくると、からだの防御網を容易に通り抜けて、病原体が体内の奥深くに侵入することになります。 そこで次に働くのが「獲得免疫」と呼ばれる仕組みです。獲得免疫は、私たちが生まれてから成長する過程で一度出会ったウイルスや細菌などの病原体を指名手配犯のように記憶し、「この病原体は見たことがあるぞ」と認識して、同じものが二度目に入ってきたら排除しようとします。ワクチンは、この獲得免疫の仕組みを利用し、指名手配犯の顔写真を免疫に記憶させます。そうすると、すみやかに病原体を排除できるようになるのです。 このように私たちのからだには、生まれつき備わっていてさまざまな病原体や異物に対して働く自然免疫という最前線の防御と、それを突破した特定の病原体にピンポイントで働く獲得免疫という、ふたつの異なる免疫の仕組みが働いています。ところが、一般の方々の間では、この違いが十分に理解されていないことが多いのです。 例えば、自然免疫という言葉を誤解して「新型コロナをはじめ、いろいろな病気にかかったほうが、自然に免疫がつく」とか「人には自然免疫があるから、ワクチンは必要ない」などと言う人がいるのですが、これらはどちらも自然免疫と獲得免疫というふたつの異なる仕組みを正しく理解していないがゆえの間違いです。