騙されて「インドで出稼ぎ売春」したのに帰国後は「醜業婦」と蔑まれた26歳女性…明治時代の「からゆきさん」を探る
トナを知っていた人物との出会い
岩国市内から車で20分ほどの場所にある阿品を訪ねた。ただ、彼女が帰国したのは百年も昔のことであり、誰も彼女のことを知らないだろうと、大きな期待は抱かずにいた。 集落に入ってすぐの場所に一軒の雑貨屋があった。まずは、そこで何か手がかりが掴めないか話を聞いてみることにした。話を聞いたのは70代の男性だった。 「取材で来た者なのですが、相川トナさんという女性のことについて調べています。聞いたことはないでしょうか?」 私の問いかけに、男性はあっさりと言った。 「あぁ、トナさんなら、この先にある家に住んでおりましたよ。もう亡くなっておりますけどね。当時の家はもうないです」 思わぬ発言に私は驚いた。冷静に考えてみれば、インドから帰国した当時、二六歳だったトナ。仮に70歳まで生きていたとしたら、1950年代の半ばまでは生きていたことになる。海外で暮らした年月より、日本での生活の方が長かったのだ。 それにしても、明治から大正、昭和と三つの時代を生きたトナにしてみれば、日本社会の変化をどのように見ていたのだろうか。そして、どのようにこの土地で暮らしていたのだろうか。
「ひとりでぶつぶつ話しているんです」
「トナおばさんは、どっか外国から帰って来たと聞いていたな。結婚もしないで、ずっと親戚の家に暮らしていましたよ」 「からゆきさんで、インドから帰ってきたとは聞いていませんか?」 「それは聞いていませんね。ただ、若い頃に相当苦労されたんだと思います。ちょっとおかしなことを言ったりしてました」 「どんな感じだったんですか?」 「ひとりでぶつぶつ話しているんです。こちらから話しかけても満足に言葉のやりとりができないんです」 未婚だったということが、彼女が経験したからゆきさんが大きく影響しているように思えてならない。おそらく故郷でも後ろ指を指されるようなことがあったのではないか。 彼女の記事が書かれた明治という時代は遠く昔話のような感覚すら持っていたが、彼女の故郷を訪ねて、トナを知る人と出会い、いきなり現実のものとして目の前に迫ってきたのだった。 「このあたりは、海外へ出稼ぎに行く人も多かったんですか?」 「たくさんいましたよ。うちの親族もハワイに行っていますよ。それこそ南洋にも行ったという話もいっぱいあります。あなたの言ったからゆきさんのことも知っています。この辺の人は働き者が多かったから、成功する機会を求めて海外に行くことは厭わなかったんだと思います。それとご覧の通り、山も多くて田畑も少ないですから、貧しかったというのもその理由でしょう」 ちなみに南洋とは、グアムやサイパン、パラオなどのミクロネシアの島々のことを言うが、戦前には多くの日本人がいたことでも有名だ。