【47歳・内田恭子の今】アナウンサー時代から年齢を重ねて見つけた「心の筋トレ」。自分らしくいられるためのマインドフルネスの世界
50歳前後の人生の折返し地点でライフキャリアを見直す女性が多い今、フジテレビの元アナウンサーである内田恭子さんもまさにセカンドキャリアを構築中。アナウンサー時代で得た知識やノウハウから結婚・出産を経験し、さらに次のライフステージへと歩み始めた、“自分らしくいられるために今、できること”を教えてもらいました。 【写真でみる】47歳になった今も透明感がある内田恭子
内田恭子/フリーアナウンサー 元フジテレビアナウンサー。1976年ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。アメリカ・シカゴ、横浜で育つ。1999年慶応義塾大学商学部卒業後、フジテレビアナウンス室に入社。2006年退社後はフリーアナウンサー・タレントとして活躍。明るく親しみやすいキャラクターで幅広い世代に支持されている。私生活では二児の母でもあり、女性誌やSNSなどで発信。昨年、ヨーロッパ最古のマインドフルネスセンターであるIMA認定のMBSR講師の資格を取得し、トレーナーとしても活動をスタート。現在は企業研修、プロアスリート、子どもの教育現場、一般向けのマインドフルネスセッションも行なっている。Instagram:@kyoko.uchida.official
アナウンサーとしてキャリアスタート
大学卒業後、テレビ局のアナウンス室に配属されて目まぐるしい日々を過ごしていた内田さん。アナウンサー時代はぜひとも聞いておきたいところ。 「フジテレビに就職し、配属はアナウンス室。学生から社会人になる1歩目ってホント、世界が違うんですよね。初めてのことばかりで緊張の連続でした。同期はものすごく優秀な人たちで、私なんてわからないこともわからない状態の落ちこぼれ(笑)。研修中は『アナウンサーには向いていない』とずっと泣いていました。初めて担当した番組は『笑っていいとも!』でした。無我夢中で乗り切ったことを覚えています」(内田さん)
報道の現場で学んだこと・伝えることの大切さ
「局ではさまざまなことを経験しました。特に印象に残っているのは、夕方のニュース番組を担当した時のこと。報道の現場に行くことがあり、取材ひとつでも『不確かなことは(報道で)言わない・伝えない』ことの重大さはここで学びました。 また、アナウンサーという職業柄、言葉の選び方・伝え方には常に気をつけるようになりました。日本語は表現が豊かで奥が深いので、言葉の持つチカラをきちんと理解し、身につけようと。だからたくさんの本を読むようにしていました。実は、小学5年から高校2年まで海外で過ごしていたため、日本語に飢えていたというのもあるのですが(笑)。当時は、父が日本へ出張した時のお土産に本をリクエストしていたくらいです」(内田さん)