なぜ働いていると本が読めない? 「忙しい」だけではない根本的理由
入口はファスト教養でもいい
――本書では、「ビジネスパーソンにとって役に立つ教養」が重視される昨今の風潮について、明治時代の立身出世をめざす実践的な「修養」と、大正時代以降に盛んになった人文知的な「教養」が再合流したもの、と述べられています。ということは、手軽に知識を得ようとする「ファスト教養」は戦前から存在したと言えるでしょうか。 【三宅】そのとおりです。日本が欧米列強に「追いつけ・追い越せ」の勢いで成長していた明治時代の修養は大正時代以降、企業の社員教育や自己啓発につながる修養主義と、エリート中心の教養主義に分かれていきました。そして昨今、自己啓発と教養をもう一度結びつけようという風潮が高まっています。それこそがビジネス教養であり、近ごろ「ファスト教養」と呼ばれるものの正体だと考えています。 ――「教養」と言うと、一部のエリートのものというイメージも否めません。階級格差という構造は現在も残っているでしょうか。 【三宅】教養の受け手という点では、かつてより格差はフラットになっていると思います。 歴史を振り返れば、明治時代にはそもそも一部の男性エリート層しか本を読めなかったのが、大正時代以降は多くの大衆に広まっていきました。戦後には、読み手のみならず書き手にも女性が増え、老若男女に開かれていったのが戦後読書史の歩みです。 現在も「岩波新書くらいは読もう」という教養主義や地域間の格差はありますが、まずはこれまでの歴史のポジティブな側面を知っておくべきでしょう。 ――ただ、近ごろも「ファスト教養なんて教養とは呼べない」という声も少なくないと思います。 【三宅】私は、本格的な教養への入口としてファスト教養的なコンテンツに触れることは決して悪くないという立場です。もちろん、中身が軽めのものだけでは寂しいし、本好きとしては多くの人に本を読んでもらいたい気持ちもあります。 一方で、読書のハードルが高いのであれば、最初はYouTubeのまとめ動画から入ってもいいと思うんです。それに、動画のコンテンツは今後もっとクオリティが上がっていくはずです。 ――本を読んでもらえないのは、動画など他のコンテンツに比べて書籍が魅力的ではないという側面もありそうです。 【三宅】私がIT企業で働いていたときも、芥川賞や直木賞を受賞した小説は知らないけれど、ネットフリックスの人気ドラマは観ているという同僚がけっこういました。 ただ、ネットフリックスのドラマは忙しい社会人に優しいファスト的なコンテンツかと言われれば、そうでもありません。一話が一時間を超える作品もあり、全話を観るのは読書よりも時間がかかることも珍しくない。 大事なのは、作品をつくり込んで、見る側をいかに世界観に没入させられるかです。書籍も、たんに短くて読みやすいようにつくるというよりは、この本は自分にとって特別なものと読者に思ってもらえるかが鍵になるのかもしれません。