邦人人質事件への日本政府の対応をどう見るか? 黒木英充、高橋和夫、萱野稔人らが議論(5)
中東における日本のブランド
萱野:なるほど。そこは。黒木さんはどのようにお考えですか、今回の。 黒木:確か最初に脅迫メールが来たのは11月の初めだったんじゃないですかね。報道されてるのは。 萱野:11月初めでしたっけ。 黒木:ええ。それが政府に伝わったのが12月初めっていうふうに、なんか政府は説明してる、実際分かりませんけどね。例えばトルコは数十人、外交官含めて解放してるわけですよね。それからイタリア、フランスも殺された人も、フランス人いますけれども、人質で解放されている人もいるわけですよね。それはなんらかの交渉があったっていうわけで。日本政府はおそらく最初から交渉しないっていう方針だったんじゃないかと思われますね。一応、だから、あの事件はお2人がビデオに出てきた瞬間にもう終わった。 萱野:終わってたわけですよね。 黒木:その前にしないといけなかったんですね、なんらかのことを。 萱野:こういう質問はどうですか。もし日本政府が身代金を払うつもりだったら、交渉は成立してたと思いますか。それでも成立しなかった可能性もありうると思うんですね。もし、政府が国会で言ってるように、なかなか相手を特定できなかった。で、実際にメールが来たと思ったらアカウントが変わってしまう。そういうところで相手と継続的に連絡を取り合うことすらできなかったとするのであれば、日本政府が身代金を払うと決めたとしても、交渉がうまくいかなかった可能性もあるかもしれない。 黒木:そこは私は情報が足りないと思いますね、まだね。本当に分かんなかったのかどうか分かりませんよね、それは。 萱野:なるほど。 黒木:ええ。拘束された地域がどこかとか、それで言えば、ある程度のあの辺、今の状況を見れば想像はつくわけですよね。ちょっとこの人質問題というよりは、私はもうちょっと広く、中東との関わり、日本の関わりっていうことをやっぱり今、考えるべきだと思って、それはやはり、なんて言いましょう。日本独自にどれだけ自分の国のことを考えて、アメリカがどうだとかいうのではなくて、本当に自立して考えて、どういう環境を持つべきかっていうことをちゃんと考えないと、これはやっぱり長期的にこれ、大変な問題になっていくと思うんです。 萱野:アメリカがこう言うからこうだ、とかではなくて。 黒木:ではなくてですね。 萱野:その場合じゃあ、どんな路線が一番望ましいと思いますか、黒木さんは。 黒木:おそらく、第2次大戦後、日本が作ってきた1つのそれこそブランドがあるわけですよ。 萱野:中東に対しての日本のブランド。 黒木:ええ。中東における。日本人はこれだけアメリカに第2次大戦で原爆落とされ、何をされっていう、あったにしても、これだけ経済成長を遂げてきて、そして、非軍事的に軍事的な関与なしに中東にも関わってきたわけですね。だから、日本人は信用できるっていう、一種のわれわれが中東出掛けていっていろいろ話をするときに、そういうところから入っていけるところがあったわけですね。それが今、おそらくちょっと土台から崩れているという感じがするわけです。 萱野:今のお話は非軍事的な関与を、やはり中東にはもっともっと強めていくべきだという。 黒木:ええ。非軍事的で、なおかつ中立的ですね。 萱野:中立的な関与を、ということで。 黒木:で、それが決してずるいことじゃないんです。かつて湾岸戦争のときにクエートから感謝されなかったっていうのが一種のトラウマになってるっていうね。なんかそういうことをよく言われますけども、それは感謝しないほうがいけないわけであって、日本の立場っていうのはちゃんと説明すれば、それはそれで尊敬されるわけですよ。