鳥羽天皇の第一皇子、崇徳院の百人一首「瀬をはやみ~」の意味や背景とは?|崇徳上皇の有名な和歌を解説【百人一首入門】
崇徳院ゆかりの地
保元の乱によって、讃岐に配流されたことから讃岐(香川県)にはゆかりの地が多くあります。 ◆雲井御所 崇徳上皇が讃岐に流された際、最初は御所が整っておらず、綾高遠の館を仮の御所として3年間滞在しました。都を恋しく思う上皇は、「ここもまた あらぬ雲井となりにけり 空行く月の影にまかせて」と詠み、この仮の御所は「雲井御所」と呼ばれるようになりました。洪水などで場所が不明になりましたが、1835年に高松藩主松平頼恕が場所を推定し、現在の坂出市林田町に「雲井御所碑」が建立されました。 ◆鼓岡神社(つづみがおかじんじゃ) 崇徳上皇は雲井御所で過ごした後、小高い丘にある粗末な御所「木ノ丸殿」に移り、約6年間滞在しました。都からの便りを待ち続けた上皇は、1164年にこの地で崩御されました。崩御後、小さな祠として鼓岡神社が坂出市府中町に建てられ、周辺には上皇が住んだ木ノ丸殿を模した擬古堂(ぎこどう)や、上皇が飲用していたとされる井戸「内裏泉(だいりせん)」が残されています。
最後に
崇徳院の和歌は、時代を超えて恋愛や運命への深い思いを感じさせます。皆さまにとっても、古の歌人たちが詠んだ歌から、自分の人生に通じる教訓や感動を見つけられるのではないでしょうか。 ※表記の年代と出来事には、諸説あります。 引用・参考図書/ 『日本大百科全書』(小学館) 『全文全訳古語辞典』(小学館) 『原色小倉百人一首』(文英堂) アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館) ●執筆/武田さゆり 国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。 ●構成/京都メディアライン ●協力/嵯峨嵐山文華館 百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
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