1年前は「野球を辞めようと」DeNA中川颯の“人間万事塞翁が馬”…「スタンドがキラキラしていた」初勝利→日本一「こんないい年になるなんて」
つい1年前、「野球を辞めようと思っていた」投手は、2024年秋、歓喜の渦のなかにいた。オリックスを戦力外になった中川颯が横浜に加入して初のシーズン。先発、リリーフ、初勝利、初セーブ、日本シリーズ……自らのアンダースローで運命をたぐりよせた「ハマのサブマリン」中川が激動の1年を振り返る、NumberWeb特別インタビュー。〈全2回の前編/後編はこちら〉 【写真】「なんと美しいサブマリン」もはや希少種・中川颯のアンダースロー連続写真、捕手とのガッチリ抱擁と穏やかな笑顔+ベイスターズの日本シリーズ激闘写真をすべて見る(100枚超) 野球をプレーする喜びを享受した1年間。横浜DeNAベイスターズの中川颯は、まるで陽だまりの中にいるように穏やかで、柔和な表情で言うのだ。 「まさか、こんないい年になるとは思っていませんでした。本当に」
1年前には野球を辞めようと考えていた
深く、実感のこもった口調。わずか1年前は所属していたオリックス・バファローズを自由契約となり、大好きな野球を辞めようとまで考えていた。それがどうだ、今は幼いときから愛着のあった地元ベイスターズでプレーをし、仲間たちとこれ以上ない歓喜を味わった。 「すべてが満足いく結果ではなかったですけど、日本一に少しは貢献できたのかなって。そこは本当に頑張ってきてよかったと思っています」 クライマックスシリーズ(CS)では3試合に登板し2ホールドを挙げると、日本シリーズでも3試合を投げ、無失点と完璧に自分の仕事をこなした“ハマのサブマリン”。戦力の一人として、日本シリーズ制覇をして見えた風景はどのようなものだったのだろうか。そう問うと中川は、しばらく頭の中で考えを反芻し、ゆっくりと口を開いた。
苦しい気持ちも痛いほどわかる
「何だろうな。いろんな思いがあったんですよ。もちろん日本一のメンバーになれたことは嬉しかったけど、一方でメンバーになれなかった仲間の気持ちとか痛いほどわかるので、絶対素直に喜べているわけじゃないんです」 表情に少し影が宿った。思えば、ルーキーイヤーから3年間過ごしたオリックスでは、厚い選手層に阻まれ、またチャンスにも恵まれず、塗炭の苦しみを味わうような日陰での生活がつづいていた。その間、チームはリーグ3連覇や日本シリーズ制覇など黄金時代を築いていたが、中川は蚊帳の外にいた。 「だからこそ、その人たちの分までってわけじゃないけど、そういう思いを知っていたからこそ頑張れたっていうのもありますし、そうですね……また来年も、もちろん今年と同じ場所を目指してやっていきたいですし、自分が来年そのポジションにいられるかはわからない。そういったこともいろいろ考えてしまって、何か不思議な気持ちなんですよ」
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