孫×100歳のおじいちゃんYouTubeが人気!「高校1年生で両親が他界。祖父と兄の3人暮らしを振り返って」
◆両親の早逝で家事に追われる日々 廣喜 二人で暮らすようになって何年くらい経つんだっけ。 秀介 今年で14年目だね。この家は、じいちゃんが戦争から帰ってきて、食品工場で働きながら苦労して建てた家だよな。 廣喜 もう昔の話だから忘れちゃった。秀介が俺にうまいもんを食わしてくれたのはぜーんぶ記憶に残ってるよ。 秀介さんは、中学3年生で母親を、高校1年生で父親を相次いで亡くした。ともにすい臓がんで、あっけなく逝ってしまったという。もともと三世代6人で住んでいたが、両親の死後は、祖父母と秀介さん、2歳年上の兄の4人暮らしに。ほどなく祖母が認知症で施設に入り、廣喜さんは男手一つで孫二人を育てることになった。 秀介 ばあちゃんが施設に入る直前、家事をできなくなってからだよね、じいちゃんがみんなのご飯を作るようになったのは。 廣喜 若い頃からおばあちゃんに任せっきりだったからなあ。息子夫婦が若くして亡くなった時は、もう本当にどうしようかと思った。やれるだけのことはやって看取ったつもりだけれど、大変なことになったなあ、って。 秀介 じいちゃんが料理するところなんて、見たことなかった。 廣喜 なにも凝った料理はできなかったけれど、育ち盛りの二人に麺類なんかはよく作ったな。
秀介 兄貴は慶應高校のアメリカンフットボール部で、19歳以下の日本代表にも選ばれたエリート選手。僕も同じ高校に進んでアメフト部に入ったけれど、学業面や遊びで、周りの慶應生と同じレベルを保つのは大変だった。じいちゃん、保護者会にも来てくれてありがとうな。 廣喜 行っていたっけかな。 秀介 ほかの生徒の保護者は、たいてい母親。でもじいちゃんはよく喋るし、人がいいからマダムたちに人気で(笑)。今日はA君のお母さんとしゃべった、とかよく話してたよ。 廣喜 そういうのはあまり覚えてないなあ。(笑) 秀介 僕と兄貴が部活に励んでいた頃、毎日ユニフォームの洗濯もしてくれたよね。「じいちゃん大変そうだな」とは思ったけれど、きれいなユニフォームを当たり前のように使ってた。 廣喜 二人分の泥だらけの洗濯物だから、大変だった。普段は家の洗濯機だけれど、汚れがひどくて量が多い時には、コインランドリーまで自転車で行って洗ってきたり。 秀介 「ありがとう」も言わないひどい兄弟だったのに、一度も「自分で洗いなさい」とは言わなかったよね。今、兄貴とは「あんなに大変なこと、なんでじいちゃんにやらせてたのかな」と反省することもある。でも兄貴が日本代表選手になった時、じいちゃんは、「俺が毎日ユニフォーム洗ったおかげだ」と誇らしげに言ってたよな。 廣喜 ははははは。 秀介 両親の保険金で結構な額が入ってきたけれど、じいちゃんが預かるとは言わなかったね。 廣喜 俺はなんも言わない。任せっぱなし。
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