『光る君へ』のモチーフ「籠から逃げた雀」を追った『源氏物語』紫の上。大人と別の世界にいる少女を紫式部が物語に登場させた理由とは
◆子どもだけが許された自由 紫の上はいま、子どもの領域を生きています。 当時、走るという動作は、子どもだけが許された振る舞いでした。糊気(のりけ)が落ちたやわらかな衣を着て、髪もまだ十分に伸びていないので、ゆらゆらと揺れてしまいます。 このときの紫の上は、髪をとかすことをいやがったといいますから、大人の女性のような整った髪ではなかったでしょう。眉もまだ生えたままで、眉墨で引いたものではありませんでした。 衣装に気を遣うこともなく、化粧もせず、立ち居振る舞いにも無頓着でいられるのは、紫の上の心が、大人の約束事に縛られていないからです。それは、子どもだけが許された自由でした。
◆源氏が思い出した日々 源氏はその姿を見て、思わず涙をこぼしました。 藤壺の姪にあたる紫の上の容姿が、藤壺に似ていたからかもしれません。幼いころからともにすごした藤壺は源氏の最愛の女性でした。 しかしじつはそれ以上に、紫の上があらわした、何ものにも縛られない純粋な心こそが、源氏にとっての藤壺像の、本質だったからなのでしょう。 今は失われてしまった、藤壺と過ごした子ども時代の幸福な日々が、にわかに思い出されたのではないでしょうか。 紫の上の天真爛漫な無邪気さが、大人となって政界の一員となり、貴族社会の約束事にがんじがらめになって苦しむ、源氏の心を解き放ったのでした。 「籠」という世間の約束事を軽々と抜け出し、自由な山野へと飛んで行った雀とは、このときの紫の上自身だったといえるでしょう。 ※本稿は、『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
松井健児
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