「自分の機嫌は自分で取る」鈴木明子が摂食障害を経て学んだ“無理しない生き方” #今つらいあなたへ
12月8日~12月11日、イタリアのトリノで、フィギュアスケートグランプリファイナルが開催された。かつてその舞台で活躍していた一人が、2014年に選手生活を引退した元フィギュアスケーターの鈴木明子さんだ。長年第一線で活躍していた鈴木さんだが、18歳のときに摂食障害を患い、休養を余儀なくされた経験を持つ。「完璧主義な性格だった」「弱い自分が嫌いだった」と話す鈴木さんに、摂食障害を経て気がついた自分との向き合い方や、自分の機嫌を自分で取ることの大切さについて話を聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
摂食障害を経て“弱い自分”を受け止められるようになった
――鈴木さんが摂食障害を自覚したのはいつ頃だったんですか? 鈴木明子: 大学に入学した18歳の頃ですね。親元を離れて、仙台の大学に進学し、初めて親の管理下から離れたので、「自由になれるんだ!」と最初はすごくうれしかったです。 私は完璧主義なところがあるので、親元を離れても、きちんと自己管理ができることを見せたかったんですよね。実際、「鈴木さんって自己管理ができて偉いよね。体重管理ができていてすごいね」と褒められることが多かったです。次第に「私は太ったらダメなんだ」「絶対に太らないで体重をコントロールしてみせる」と強く思うようになって、より食事に気をつけるようになっていきました。 でも、だんだんと「食事に気をつける」ではなく「食べることが怖い」と思うようになってしまったんです。自分の中で食事に関するルールが増えて、「揚げ物は食べちゃダメ」から始まり、「お肉を食べたらダメ」「油を使った料理を食べてはダメ」とエスカレートしていきました。 スケートの技術を向上させて、五輪に出場することを目標に仙台の大学に進学したにもかかわらず、結局食事ばかりを気にする毎日でした。だんだん痩せることが目的になってきてしまって……。体重計に乗ると努力が数字として目に見えるので、頑張っているという評価を得られるんです。それで、結局摂食障害になってしまいました。摂食障害には拒食症や過食症がありますが、私は典型的な拒食症でしたね。 もともと、海外の試合に出場し始めた中学生の頃から、体型へのコンプレックスも抱くようになっていました。海外の選手は、手足がすごく長くて、顔も小さくて、隣に並びたくないと思うほど。体型へのコンプレックスがあったことや審美性の高い競技であることも、摂食障害の要因になったのではないかと思います。他者(審判)の評価が成績に結びつく競技なので、「どう見られているんだろう」と、常に外からの目を気にしてしまっている状態でした。 ――摂食障害を克服してフィギュアスケートの世界に戻ってきたときは、どんな心境でしたか? 鈴木明子: 氷の上に戻ったとき、後ろを振り向く動作をしただけで転んでしまったんです。それだけ体幹がなくなっていました。頭ではこれまで通り滑ることができていても、体がついていかない。「本当の闘いはここからなんだな」と思いました。フィギュアスケートは選手寿命が短いスポーツなので、復帰をしたところで五輪出場は難しいだろうなとは思っていたんですけど、それでももう一度競技と向き合えることがうれしかったですね。 ただ、「昔はできていたのに……」というちっぽけなプライドと向き合うことは苦しかったです。過去の結果と比べてしまったり、周りから「病気なんてなければよかったのにね」と言われたりすると、「本当はもっとできていたのかな」と思うことはありました。それでも、自分らしくコツコツと努力を続けていたら、五輪に出場することができた。人生って本当にわからないですね。 ――フィギュアスケートに対して改めて向き合い直したことで、ご自身の中で変化はありましたか? 鈴木明子: 摂食障害になった当時の私は“頑張っている強い自分”が好きで、弱い自分を受け止めることができなかったんです。人間誰しも、弱い部分と向き合うことは難しいと思いますけど、特に私は弱さを受け止められなかったんですよね。人にも見せたくなくて、箱に詰めてふたをしておきたいと思うタイプでした。 しかし、ご飯すらまともに食べられないような自分になったとき、母親が「どんなあなたでも受け止める」と言ってくれたんですね。それから、「強い自分も弱い自分も私自身なんだから、弱い自分とも手をつないで歩んでいこう」と思うことができるようになりました。 もちろんアスリートなので、練習で妥協や弱さを見せていては成長ができないと思います。でも、強そうに見える選手だって、本当はいろいろなことを抱えて頑張っているんですよね。私だけが弱いわけじゃない、みんないろいろあるんだよなと思ったときに、「こんな自分でもいいじゃん」と思えるようになりました。