大橋未歩「自分の代わりはいる。それが健全な組織」脳梗塞になって気づいた一番大切なこと
局アナとして多忙を極めていた2013年に、34歳で若年性脳梗塞になったフリーアナウンサーの大橋未歩さん。大橋さんは当時を振り返り、病気への不安とともに、休職したことによる社会からの疎外感など、様々な思いが渦巻いたといいます。また、後遺症もなく元気に回復した現在では、生きていることに感謝できるようになり、病気がその後の生き方を大きく変えるきっかけにもなったとも語ります。脳梗塞の啓発に取り組みながら、“今を生きる”大橋さんにお話を聞きました。(取材:たかまつなな/笑下村塾/Yahoo!ニュース Voice)
「まさか自分が」健康だったはずが脳梗塞に
――脳梗塞になった時の状況を教えていただけますか? 大橋未歩: 寝る前に顔を洗おうとして左手を触った際に、「マネキンに触っているみたい」って思ったんです。左手を触っているのにその感覚がまったくない。それでも気にせずに続けようとしてクリームを取ったら床に落ちたので、拾おうとかがんだ時に倒れてしまいました。 家族が見に来たら、私の顔の左半が歪んでいたみたいで「これは脳の異常だな」と気づいて救急車を呼んでくれました。大ごとにしたくなかったので、「大丈夫だから呼ばないで」って言おうとしたら「らいじょうぶ」って呂律が回らないんです。そのまま気を失って気づいたら救急車の中でした。 ――検査結果はどうでしたか? 大橋未歩: CTでは分からなかったんですが、MRIを撮ったら4カ所で脳梗塞が見つかりました。それまでは風邪もすぐに治る健康体で体力にも自信があったので、まさかと思いました。あと、脳梗塞というのは高齢者の病気というイメージがあったので、34歳でも罹患することに驚きました。 調べてみたら、右の内頸動脈がはがれる「内頸動脈解離」になっていました。血管というのは3層になっているんですが、内側がはがれたところにできた血だまりが固まって、脳の方に移動して血管を塞いだということでした。普通なら自然治癒するはずが、私は3カ月待っても治らなかったので、人工的に血管を広げる手術をしました。いまは首にネットのような形状のチタンが入っています。 ――入院していたときの様子は? 大橋未歩: 今後の治療法について、最初の病院からは「血管がはがれた状態でいくしかない」って言われていたんです。でも爆弾を抱えたまま生きていくのは嫌でした。そこで自分で調べた結果、チタンを入れる「ステント留置」という治療法があるのを知りました。担当医にそのことをいうと「その治療法は次に倒れたら適用します」って言われたんです。 そこでセカンドオピニオン、サードオピニオンなど色々聞きに行って、最後に今の主治医と出会うことができました。先生に意見を言うのってすごく気を遣うんですが、今の主治医は「患者の言葉に耳を傾けないような医者は、始めからやめておきなさい」と言ってくれたので心のつかえが取れたというか。 最初の病院に転院を伝えるのは勇気が必要でした。でも自分の命のことだから、先生を信頼しても妄信しちゃいけないと思うんです。納得がいかなければ自分で自分の治療法を責任持って探すことも、患者の役目ではないでしょうか。