燃え殻エッセイ 僕が覚えた「足裏もみ」が大人になって役立った話 「風呂場で思い出すのは若き日の父の姿」
日常をやり過ごすために必要なのは、映画館の暗闇の中のような絶対的な安心感。ひとりの時間、寄り道と空想、たしかな名前の付いていないあれやこれや。作家・燃え殻が描く、疲れた夜にそっと寄り添う30篇とちょっとのエッセイ集『明けないで夜』より、父と祖母のこと。 ■一人間に戻るための儀式 友人は仕事から帰るとまず、気持ち良さそうに寝ている柴犬の腹に顔を埋めるらしい。柴犬も毎日のことなので慣れているのか、主人の気が済むまでジッと動かないでいてくれるんだと語っていた。それが友人の、劇団社会人から、一人間に戻る儀式だった。
僕がテレビの美術制作の現場で働いていたときは、帰るとまず、靴下を脱いで洗濯カゴに入れて、風呂場に直行した。デニムの裾をめくり上げ、熱めに設定したシャワーで膝から下、特に足の裏を中心に石鹼を使ってよく洗う。タオルでしっかり拭いて、そのあとに冷えた缶チューハイを冷蔵庫に取りに行って、「プシュ!」だ。これが僕の劇団社会人から、一人間に戻るための儀式だった。 父はモーレツに働く人で、子どもの頃、家でくつろいでいる姿を見ることはほとんどなかった。朝は四時半には起きて、自分で湯を沸かし、お茶を飲み、家族が起きないように準備をして、始発の東横線で会社に出かけていく。帰りはだいたい午後十時くらいだったと思う。酔っ払って無様な姿で帰ってきたところは見たことがないし、人の道に反したこともしない。国の模範囚のような人だった。だから僕は幼いとき、父と雑談をした思い出がほとんどない。七十五歳になった父と、「よし、話そうか」となるわけにもいかず、ときどき実家に帰っても、うまく話せたことがない。
ただ、先日ふと思い出したことがあった。その日、僕は取材と原稿の締め切りで、自宅に戻ったのが午前一時をちょっと回っていた。いつも通り、まず靴下を脱いで洗濯カゴに入れて、風呂場に直行した。デニムをめくり上げ、熱めに設定したシャワーで膝から下を石鹼で洗っているときに、ふと父とのことを思い出した。 それは三十年以上前の秋の始め頃のこと。母が閉め忘れた窓から、冷たい夜風が寝室に吹き込んでいた。僕は掛け布団をはいでしまって、眠気と掛け布団を探したい気持ちがせめぎ合う。目をつむったまま探していたが、どうしても掛け布団が見つからない。そこにまた冷たい夜風がスーッと吹き込む。僕はブルッと震えて、仕方なく目を開け、掛け布団を探すことにした。