「クラスター型」と「ユニット型」 新型コロナから考える人間の交友関係
クラスター人間とユニット人間
そして、人間にも、クラスター型の人間とユニット型の人間とがあるような気がする。 ユニット人間は、どのような集団においても、常に接着を強めるように行動するので、その集団の求心力になりやすい。クラスター人間は、条件が変われば集団から離れるので、基本的には個人主義であり、発展家でもある。 たとえば友人、恋人、夫婦のあいだにおいて二つのタイプがペアをなすと、ユニット人間タイプの方はクラスター人間に裏切られる感情をもつ傾向にあり、逆にクラスター人間タイプの方はユニット人間に拘束される感情をもつ傾向にある。よくあることだ。 たとえば学校の部活動は本来クラスター型の集団であるが、体育会系はユニット型になりやすく、クラスター人間を排除する傾向にある。逆に同好会的だったゆるい部が、熱意ある監督が入ることによってユニット化され急に強くなることがある。
クラスター国家とユニット国家
そう考えれば、国家にも、クラスター型とユニット型があるだろう。 日本は単一性の強いユニット国家であり、アメリカは多民族多文化のクラスター国家であるというのは認識しやすいことだ。アメリカ社会に対して昔は「メルティング・ポット=坩堝 (るつぼ)」という、さまざまな文化が溶け合ってひとつになるという意味の言葉が使われたが、近年は「サラダボウル」など、それぞれの文化が溶け合うことなく混在しているという意味の言葉が使われる。 今回のウイルスに対して、アメリカで感染が急拡大し、世界最大の死者を出しているのは、クラスター国家であることから、統一行動が取りにくいことが裏目に出ているのかもしれない。何しろ人々が銃と弾薬を買い込もうとする国である。 逆に日本、台湾、韓国で押さえ込まれているのは、ユニット国家であることが幸いしているのかもしれない。中国は人口が多く、国家より個人のつながりを重視するクラスター的なところもあるが、共産党が強権を発動すれば、ユニットとして動くということだろうか。