「クラスター型」と「ユニット型」 新型コロナから考える人間の交友関係
設計ユニットの時代
建築界で「ユニット」といえば、昔なら建築を構成する部品、部分を意味し、パーツ、コンポーネント、カプセルなどの言葉と近い意味であった。しかし現在ではもっぱら「設計者の集団」を意味する。とはいえ、いわゆる組織ではなく、ごく少人数の、夫婦や仲のいい友人である場合が多く、ここ数年、こうしたユニット型設計集団が増えているのだ。建築ばかりでなく、デザインや音楽など、さまざまな創作現場で同じ現象が見られる。 従来、建築設計事務所には、組織事務所とアトリエ事務所という二種類があった。組織事務所は数百人を擁する会社型の集団で、技術的総合力を発揮しやすい反面、独創性に欠けるところがあり、設計された建築も個人の作品とはなりにくい。アトリエ事務所は、一人の先生と何人かの所員で構成され、技術力より独創性に重点が置かれ、設計された建築はすべてその先生の作品とされる。若い建築家は「自分は組織の中で仕事をしていくタイプか、それとも個人(アトリエ)として仕事をするタイプか」と悩むのが常であった。 しかしユニットは、会社組織でもなく、先生と弟子でもない。対等の関係で結ばれた数人である。社会的にはあたかも個人であるかのように扱われ、設計された建築はユニットの作品とされる。数人でアイディアを出し合い、意見を言い合うことで欠点を克服して、より客観的で高次の創作に近づけようとするのだ。これまでの感覚では、独創的な建築家や芸術家は我が強いので、衝突してしまうのではないかと思われていたが、今の若い人はそうでもないようで「ユニット的独創」というものが普通になりつつある。 そう考えれば世の中が、「近代的な自我」の時代から次の時代に移りつつあるのかもしれない。生産形態が「組織型」と「個人型」の時代から「対等型」の時代へ。インターネットの時代と並行する現象であろうか。
クラスター型交友とユニット型交友
新型コロナウイルスの感染対策で使われる「クラスター」という言葉に、ベトナム戦争で使われた「クラスター爆弾」を思い起こした人もいるだろう。一つの爆弾からいくつもの小爆弾が分かれる、手当たり次第の無差別攻撃であり、戦闘後も不発弾が多く残るので、きわめて非人道的な武器とされている。その「悪しきもの」のクラスター的分散が、今回のウイルス感染拡大を彷彿とさせるのだ。 つまり「クラスター型の接触=交友」は、集合と離散を繰り返す、マグネットのような集団性である。たとえば会食や音楽会(ライブハウス)、スポーツ(ジム)などで、ある時期には濃密な集団を形成していても、終われば人々は別れ別れに動き出し、集団は個人に還元される。 これに対して「ユニット型の接触=交友」は、持続的に一体となった、接着剤のような集団性である。同居家族がその典型であり、いつも一緒にいる恋人や友人もこれにあたる。学生や旅行者にもユニット的な二人組がよく見られる。