ショッピングモールの歌姫・半崎美子「歌手になるため北海道を飛び出し、パン屋で住み込み。反対していた父が、ラジオ局に手紙を送ってくれていた」
◆お客様の声から生まれた名曲 ――お客様との対話を重ね、受けとる思いを糧に歌い続ける半崎さんは、栃木県のショッピングモールであるご家族に出会う。その出会いから、半崎さんが得たものとは――。 ショッピングモールで歌うようになってから、「80歳になってはじめてCDを買いました」と言ってくださる方や、小さなお子様連れの方、車椅子でお越しになられる方など、ショッピングモールならではの出会いがたくさんありました。中でも、栃木県のショッピングモールで出会ったご家族との思い出は忘れられません。 インディーズの頃、歌いに行ったその会場でライブ後、サイン会に数人並んでくれたお客様の中に、そのご家族がいらっしゃいました。会った時には直接お話されなかったのですが、のちにくれたお手紙に、大切な息子さんを事故で亡くされたことが綴られていました。お手紙から、私の歌に思いを重ねてくださっていること、ご家族の深い悲しみが偲ばれ、何度読んでも涙が止まらなくて。その1年後、『明日へ向かう人』という曲を作り、同じ栃木県のショッピングモールで歌ったんです。 歌う前に、「この曲は、以前ここで出会ったご家族に宛てて書いた歌です」と話をしたら、当日のサイン会にご家族当人が来てくれていて。「私たちのために書いてくださったんですね」と声をかけてくれました。その再会から今も交流が続いていて、この時の出会いは私の音楽人生の中ですごく大きな意味を持つものでした。 ショッピングモールで歌いはじめた当初、ほとんどの人が通り過ぎていく中で、落ち込んで、別の場所で歌うことを考えてもおかしくないと思うのですが、不思議とそうはならなくて。1人か2人のお客様が柱の影や遠くから聞いてくれたり、涙ながらにCDを買いに来てくれたり。それぞれの出会いが忘れられなかったからなんですよね。衣料品売り場のスタッフさんや警備員さんが仕事終わりに聞きにきてくれたりとか。人数じゃなくて、そういう垣根のない雰囲気やショッピングモールならではの稀有な雰囲気が、歌い続ける力につながりました。 自分と同じ思いを持っている人が必ずどこかにいるはずだと、そう思って歌い続けてきて、その中で「この人は私と深いところでつながっている」と思えた経験はすごく大きかったです。曲の解釈や受けとめ方は、それぞれ好きなように感じていただければと思っています。ただ、「1人じゃない」という気持ちを分かち合えたらと思いながら、日々歌っています。
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