「本物はもの欲しそうな顔をしていない」…細川護熙さんが明かした「白洲正子」の言葉首相辞任後に届いた手紙の中身とは
第1回【「細川護熙」元総理が語った「白洲正子」の素顔 “魔法使いのおばさん”は祖父に「トノサマ、あれはニセモノでしょう」と迫った】を読む 【写真】芸能界きっての美男美女がずらり…「白洲次郎・正子」を演じた俳優たち 1998年12月26日に死去した随筆家の白洲正子さん。米国留学後に実業家の白洲次郎さんと結婚し、戦後には能や骨董、文学といった日本文化に深く分け入った名著を次々と発表した。「韋駄天お正」とも呼ばれたその生き方に憧れる人も多い。 そんな正子さんを「魔法使いのおばさん」と呼んだのは、元内閣総理大臣、現在は芸術家の細川護熙さん。2007年の正子さん生誕100年を記念したインタビューでは、自身が小学校高学年の頃から間近で見ていた正子さんの姿を語っている。護熙さんが政界入りしても絆は途切れず、やがて芸術を介した仲間的関係に変化していった――。 (全2回の第2回:「週刊新潮」2010年1月28日号「『細川護熙』元総理が語る『韋駄天お正』の知られざる素顔」をもとに再構成しました。文中の役職等は掲載当時のままです。敬称一部略) ***
夫・白洲次郎とは将棋を指す仲
又七といえば、小林秀雄さんも護立から鍔を“せしめて”いかれたのですが、祖父が亡くなると、「護立公から拝借していた又七をお返しします」と、わざわざ手紙を添えて送り返してきてくださった。 ともかく、若い頃の正子さんには「韋駄天お正」という名がぴったりだったようですね。 《白洲家との親交から細川氏は正子の夫・次郎とも交流を持つようになる。が、細川氏の眼には2人は珍しい夫婦に映り、正子・次郎はそれぞれにマイペースだった、という》 正子さんと次郎さんとお2人揃ってご一緒した記憶はないですね。食事に誘われてもいつもどちらかお1人でした。お2人は趣味も違いましたから。正子さんは骨董や能など、文化に対してはもちろん造詣の深い方でしたが、一方の次郎さんとは芸術の話をした覚えはないですね。もっとも、私は次郎さんから将棋の相手で呼ばれていたから、そこまで話がいかなかったのかもしれませんが。 次郎さんはとにかく負けず嫌い。将棋を指していても、自分が危なくなると、「お前、それでいいのか」「本当に大丈夫か」「本当だな」と何度もブラフをかける。そこで「待った」をやってこちらが負けたりするともう大喜びで、食事に連れていってくれました。