「親亡き後を常に考え」心が休まる暇はない知的障害児の子育て 桜井奈々が一番悩んだ「普通のことが普通にできない」
小学校入学時は本人のモチベーションはあったので、「勉強ができなくてもいいから、小学校に楽しく参加できれば」という思いでした。4年生のときに転校をしたのですが、転校先でも通級を希望しました。ただ、住んでいた区が知的障害があると通級ができず、どうするか悩みました。でも、1~3年生までやってこれましたし、転校先が少人数で1クラスの学校だったこともあり、高学年は普通級でスタートしました。さいわい5・6年時の担任の先生がもともと特別支援学校の先生で、対応に慣れていらっしゃったこともあり、続けることができました。偏食で給食も食べなくてもいい、宿題は別の出せるものだけでもいいと、いろいろ配慮してくださいました。クラスのお友達もいい子達ばかりで。本当にいろいろと恵まれていたと思います。
■障害児の子育てに終わりはない。娘が就労しても… ── 障害児を育てる親として、「どういうことを言われると傷つくか」についてご自身のブログに綴っていらっしゃいました。 桜井さん:娘に障害があることを話すと、「障害があっても結婚していたり、就職してる人もいるよ」と、励ます意味で言われることがあります。正直、とても複雑な気持ちになります。「何とかなるよ」と言われても「幼稚園すら入れなかったのに?」と思ってしまう自分がいて…。最初に社会から断絶されたときのことを長く引きずってしまっているのだと思います。よかれと思っていってくださっているのはわかるので余計に気持ちのやり場がなく…。どう受け止めたらよいのかまだ自分の中で答えは出ていません。
高校へ行って、大学へ行って、就職して、といった未来は基本的にはないだろうなというのは娘が幼少期のころから思っていて。大きなテーマとして「親亡き後、どうやって生きていくの?」と常に考えないといけません。 ── 娘さんは現在は働いていらっしゃるとのこと。成長された娘さんにいま思うお気持ちを教えてください。 桜井さん:気持ち的に「就労できたら子育てのゴールかな」と思っていましたが、甘かったです。なんとか就職できたと思っても、最初は半年契約ですし。面談が半年後、一年後とあり、継続できるか気が抜けない。障害者就労の中でも知的障害の方はほかの障害の方よりも月給が低く「この金額で生きていけるのだろうか?」と考えます。正直、東京で暮らすのはとても難しいなと。障害者年金も申請しないといけませんし、それすら今後どうなるか当てにならないですし。「そもそも本人が働きたくないと言い出したらどうしよう」という怖さもあり、つねに崖っぷちなんです(笑)。心が休まることはありませんね。