生成AIは創作の現場でどう使われている? 「制作コストゼロ」は実現するか
制作コストは限りなくゼロに近づく?
話を聞けば聞くほど、小沢氏、小林氏両名にとって現在の生成AIは、編集者の代わりであり、アシスタントの代わり。創作者の代わりにはなっていない印象だ。 ただ、人間の編集者ができること(の一部)やアシスタントができること(の一部)を代行できているのであれば、その部分の「省力化」は実現できている、つまりある意味で、創作のための「コスト」は削減できている──と言えるのではないか? さらに、両名ともほとんどの質問の返答に添えていた一言がある。「現状の生成AIの場合」だ。生成AIにできることは日進月歩。今日できなかったことが、来週にはできるようになっている。今よりもっと多くの、もっと高度なことが、もっと簡単な方法でできるようになる。 改めて問う。もし「生成AIにできること」がこのまま高度化し、限界まで少ないコスト(時間、労力)でエンタテインメントコンテンツを大量に生成できるようになったら、制作コストは限りなくゼロに近づき、それによって失職する作り手が増加するのだろうか? 次回はその点を踏まえながら、少し別の角度から「生成AIはクリエイターの仕事を奪うのか」を考える。
執筆:編集者/ライター 稲田 豊史