妊娠6週で3つ子と判明。医師から減胎手術を提案されるも、夫婦で何度も話し合い「3人とも産んで育てよう」と決意【多胎の妊娠・出産体験談】
初期はつわり、後期は息苦しさや肋骨の痛みに悩まされ…
――健診や出産は現在も住んでいる東京で? 佳奈 はい。実家が都内から新幹線で1時間半くらいのところで、最初はそっちに戻ることも考えたのですが、仕事もありましたし、何かあったときにすぐ病院に駆けつけられるほうがいいと思い、こちらの病院で出産することに決めました。 ――妊娠生活で大変だったことは? 佳奈 初期はつわりに悩まされました。妊娠した直後から、胃腸のあたりがモヤモヤし出して、しばらくしたら何を食べても吐くようになってしまったんです。その影響で4kgほど体重も減ってしまいました。なんとか入院はせずに済みましたが、あと1kg減ったら入院だよと言われるような状態でしたね。 ――吐くタイプのつわりはつわりの中でも本当に大変ですよね。 佳奈 ええ。食べたいという気持ちはあったので、何かしら口に入れるのですが、結局吐いてしまうことが多くて…。ただ、不思議なことにオレンジジュースはダメだけど、りんごジュースはいけたり、(胃に負担のかかりそうな)牛丼はなぜか食べられたり…。そういうことがありましたね。 体調がよくなってきたのは、妊娠5~6カ月のころ。でも、戌(いぬ)の日のお参りをしたときはまだギリギリで、なんとかお参りを乗りきりました。 ――後半は後半で、おなかが大きくなってくることに伴う不調があったのでは? 佳奈 はい。おなかの赤ちゃんによる圧迫で横になると息苦しさがありました。肋骨(ろっこつ)のあたりが痛む肋間(ろっかん)神経痛にもなってしまって、ずっと痛くて、寝られなくて…。出産前の管理入院中もリクライニングしてみたり、腰にクッションを入れてみたり、抱き枕を使ってみたり…。いろいろ試しました。
妊娠24週まで仕事を継続!28週から管理入院に
――妊娠してから、お仕事はどうしていたんですか? 佳奈 メーカーの会社員として働いているのですが、ちょうどコロナ下でリモートが推奨されている時期だったので、主に在宅で仕事をしていました。 ――リモートとはいえ、3つ子妊娠でいろいろ症状もあるのにとても大変だったのではありませんか? 佳奈 大変でしたね。ただ、本当に体調が悪いときは仕事を休んでいましたし、ほかにも午前中だけ仕事をして午後は休んだり、出社のときはタクシーを使って行ったり。なんとかこなしていました。産休に入ったのは妊娠24週からです。当時、すでに腹囲は100cm前後で、はたから見れば臨月の妊婦さんに見えたと思います。 思い返すと、いろいろ症状はありつつも妊娠経過自体はよいほうだったのかな。入院前は切迫早産(せっぱくそうざん)や自宅安静を言い渡されたりもせず、気晴らしに近所を歩くなどもしていました。最後のほうはすぐに疲れるので、少し歩いては休む、まるでおばあちゃんのような動きでしたけど(笑)。 ――管理入院はいつからしましたか? 佳奈 管理入院は妊娠28週からです。直前に夫の誕生日があったのでどうしてもこの日は家にいたいと先生に伝えていたら、かなえてくださり「パパのお誕生日会も終わったことだし、入院しますかね」と。先生、夫の誕生日のことをカルテに書いていたようです(笑)。 当時、子宮口はかろうじて閉じていたらしく、先生からは「まぁ、よくもっているほうだよ」と言われました。ただ、いちばん下にいた二男が骨盤に頭を突っ込んで下がってきていて、子宮頸管(しきゅうけいかん)も短めになっているとのことで、入院になったんです。 ――管理入院中のことを教えてください。 佳奈 最初は大部屋に入院し、いずれMFICU(母体胎児集中治療室)に移ることが決まっていたのですが、医師の「もう少しこまかく診ていこう」との判断で入院4日目にはMFICUに移動することとなりました。MFICUは分娩室、診察室、ナースステーションも目の前で万が一のことがあったときにとても安心できる環境でしたが、基本部屋から出てはいけないのとシャワーもNG。身体は拭くのみでした。 最初の大部屋で入院仲間に恵まれましたし、移動すると生活が制限されるため、自分的にはもうMFICUに行くのか…早いな…と正直、思いましたが、子どもたちの命がいちばんですし、自分の一存で決められるものでもないので、ただただ指示に従うのみでした。