アートメディアの編集者+スタッフが選ぶ、この20年のベスト展覧会は?:TABスタッフ7人で語る座談会【後編】【Tokyo Art Beat 20周年特集】
日本最大級のアートメディアTokyo Art Beatスタッフが選ぶ、20年間のベスト展覧会
井嶋:Tokyo Art Beatの20周年記念アワードとして、ユーザーの皆さんによる投票でこの20周年のベスト展覧会を選出します。①2004~08、②2009~13、③2014~18、④2019~24年6月までに開幕、の4期間にわけてそれぞれでベスト展覧会を発表する予定で、現在投票の候補にあげる展覧会の推薦をユーザーの皆さんから募集しています。 今回はTABの皆さんにもこの20年間のベスト展覧会を、4期間にわけて発表してもらいたいと思います! 村上:私は2004~2008年は小学生だったのでまだ美術館で展覧会を見たことがなかったのですが、中高生になると学校をサボって美術館にいくのが自分の中でブームになり(笑)2011年あたりからたくさん展覧会を見るようになりました。 まず②は、2011年に開催された「パウル・クレー ―おわらないアトリエ」で、私は京都国立近代美術館で見たのですが、東京国立近代美術館にも巡回した展覧会です。クレーの制作過程に着目した内容で、その辺りの細かい展示内容は実はあまり覚えていないのですが、クレーの作品のなかでもとくに好きな《蛾の踊り》という作品を実際に見られたことをよく覚えています。当時画塾に通っていた時期で、いろんな画家の画集をよく見ていたので、とくに好きな作品を美術館で実際に見られるという経験ができてすごく嬉しかった記憶があります。 ③は2017年に丸亀市猪熊弦一郎美術館で開催された「志賀理江子 ブラインドデート」です。当時大学生ですでに上京していたのですが、上京後初めて展覧会を見るためだけにひとりで地方に遠征した展覧会でした。志賀さんは大学の授業で知ってからずっと気になっていた写真家さんだったので、展覧会があると知ってから夏休み中にお金をためて香川まで夜行バスで行き、朝の丸亀でうどんを食べたりしながら美術館が開くのを待った思い出があります(笑)。美術館の空間と志賀さんの作品がすごくマッチしていて、作品自体も本当に良くて面白い展覧会でした。展示の最後の方に、志賀さんの手書きで壁面に綴られた長いテキストがあったのですが、そのなかに展覧会開催にあたって志賀さんが募集した「もしも、この世に宗教もお葬式という儀式も存在しないとしたら、大切な人が亡くなった時、あなたはどのようにその方を弔いますか?」という問いに対する答えがいくつか書かれていて、展示を見終わった後も、ふとこの問いのことを思い出すような日がありました。 この時の志賀さんの展示を見たことがきっかけとなって、その後2019年にTOPで開催された「ヒューマンスプリング」展のための作品撮影のボランティアにも参加しました。ともにとても良い思い出です。 ④は、表参道のVACANTがクローズする前にやっていた梅田哲也さんのパフォーマンス 「おとなり / Sound and Surrounded」です。VACANTがクローズする前にいくつかパフォーマンスや展示などのイベントを開催しており、その中のひとつに梅田さんのパフォーマンスイベントがありました。 VACANTは東京の中でもお気に入りの場所のひとつだったので当時はクローズしてしまうことに寂しさを感じていたこともあり、パフォーマンスを見る前からこれで最後なのか、、、としんみりした気持ちがあったのですが、梅田さんのパフォーマンスが本当に素晴らしくて、最後にこれが見られて良かった!!という清々しい気持ちになれました。 諸岡:父が美術好き、骨董収集が趣味で、時々美術館に連れて行ってくれました。そのなかでも石橋美術館(現:久留米市美術館)は私と父の気に入り、思い出深い場所です。2005年の「水彩の力、素描の力」展はティーンネイジャーでくさくさしていた当時、静かな美術館で自分と向き合う時間をくれた展覧会として記憶しています。 大学生で上京して、たくさんの美術館に行き、それまでほとんど見たことない現代アートに夢中になりました。とくに2013年に国立新美術館で開催された「アーティスト・ファイル2013―現代の作家たち」は忘れられません。ダレン・アーモンドがターナー賞にノミネートされた際の映像作品《If I had you》は、静かだけどとてもエモーショナルな作品で、自分からは遠い国の映像なのにしっくりじっくり、ひとり泣きながら見てしまいました。使い古された言い方ですが、アートが時間も場所も超えてくる力を感じました。 社会人になると、とにかく周りのおじさん・男たちにイラついていた(笑)2018~19年にワコウ・ワークス・オブ・アートで京都賞受賞記念の際に開催されたジョーン・ジョナスの個展「Simple Things」はそのイラつきを吹き飛ばしてくれました。女性のアイデンティティとどのように向き合うか、ユーモアを忘れない気持ち。歳を重ねたらこうなりたいと思った初めてのアーティストです。 仕事柄たくさんの展覧会を見ますが、本当に心に残るのは正直なところ1年に1回あるかないか。2023年に尾道市立美術館で開催されたマレーシア人アーティストのシュシ・スライマンの個展「ニューランドスカップ」は一生忘れられない展覧会になると思います。シュシが10年のときをかけ、マレーシアと尾道を渡り鳥のように行き来したなかで、偶発的につながっていった様々な点と点を、アーティストと同時代に生きる者として目撃することができる。本当に夢のような奇跡のような展覧会でした。 野路:過去20年、小さなものから大きなものまで記憶に残った展覧会はいくつもありますが、今回は自分にとっての「初めて」「転換点」というキーワードで振り返ってみました。 まず①ですが、自発的に「現代美術の展覧会を見に行こう」と思って訪れた展覧会が、2006年の「GARDENS ガーデンズ―小さな秘密の庭へ」(豊田市美術館)です。それまでは興味のある作家単位で美術館に足を運んでいたのですが、現代アート全体に興味が出てきたのが2000年代後半だったんですね。エルネスト・ネトの作品でゆったりくつろいだり、展覧会が終わった後も図録を大切に何度も読み返しました。 2009年の「ウィンター・ガーデン 日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開」展(原美術館)は、松井みどりさんが提唱した美術動向「マイクロポップ」のその後の展開を表す展覧会でした。美術シーンは、「マイクロポップ」「関西ニューウェーブ」「スーパーフラット」など、大きな動向が命名され、振り返られるタイミングがありますよね。私はそういった、文脈化・歴史化されることが約束された動向が持つ熱に大きな魅力を感じるのですが、そんな「美術動向」についての興味とともに訪れたことを覚えています。原美術館は場所としても唯一無二の魅力があり、東京の現代アートシーンに大きく貢献したと思いますし、思い出深い展覧会がたくさんあります。2021年に閉館してしまって本当に残念です。 ②の2014年頃は2011年の「震災後」としての年月という記憶が強いです。そんななか、2015年の「フェスティバル/トーキョー15」で見た飴屋法水さんの『ブルーシート』は震災を扱った作品として鮮烈に覚えています。この経験をきっかけにできるだけ飴屋さんの作品や出演作には足を運ぶようにしましたが、飴屋作品はいつ見ても強烈に何かを突きつけてきてくるので見る側も気構えが必要です。VACANTでの公演(本谷有希子×飴屋法水「 」)も見に行ったかな。まよさんも挙げていましたが、VACANTも素敵な場所でしたよね。一時期は1階が食堂で立ち寄りやすかったですし、「いつも面白い何かがやっている」というワクワク感のある場でした。 ③は2018年のヴァージル・アブローの個展「”PAY PER VIEW”」(Kaikai Kiki Gallery)が記憶にあります。時代の流れが早すぎて同展の作品画像を見返すとすでに作品のムードが懐かしいですが、当時は鮮烈な「いま」性があった。このとき取材に同行させてもらったのですが、そこでの立ち振る舞いも印象的で、インタビュー中も携帯をずっと触って仕事をしているんですよね。本人も「これ(携帯)があればいつでも仕事ができる」と言っていて、とにかく同時並行的に様々なことを進めていることがうかがえました。関わるすべてのジャンルでプロフェッショナルであるというようなワーカホリックな領域横断的スタイルで、ヴァージルは間違いなく2010年代を代表するスターでした。「”PAY PER VIEW”」はその片鱗を見ることができる貴重な展覧会でしたし、自分がストリートカルチャーにより興味を持つきっかけにもなりました。 ④は去年末の座談会でも話した、「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)です。高校時代に見た作品と20年ぶりくらいに再会して「あぁ自分は一周回って帰ってきたんだな」という感慨いっぱいの展覧会体験でした。TABも20周年でこれから新しいフェーズに突入しますが、私も気持ちを新たに歩いていきたいです。 福島:なかなか絞りきれないのですが、①はまず2005年「横浜トリエンナーレ:アートサーカス(日常からの跳躍)」。当時学生で、いわゆる芸術祭に行ったのは初めてでした。音楽フェスみたいなハレの感覚で、純粋にすごく楽しかったし、ポジティブな雰囲気があったと思う。今年のヨコトリも画期的だったけど、比べてみると20年ほどで国際的な現代アートや芸術祭に要請されるものが大きく変わったなと思うし、私自身もだいぶスレてきて、現代アートの祭典で無邪気にはしゃいで感動していたときが懐かしい(笑)。 もうひとつは2006年「球体写真二元論: 細江英公の世界」(東京都写真美術館)。大学で写真研究部だったから写美は好きでよく来ていたけど、この展示で細江さんの写真の格好良さに打ちのめされて、舞踏への興味も芽生え、4年生の博物館実習は写美に決めた。実習の1週間でできた友達とはいまも続いているし、大事な思い出です。 ②は、2009年の「ネオテニー・ジャパン ― 高橋コレクション」(上野の森美術館)と同年の「鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人」(東京オペラシティ アートギャラリー)。いま振り返ると、高橋コレクションの存在が、日本の同時代のアートシーンやアーティストをまとめて知るきっかけとして個人的にすごく大きかった。なかでも鴻池朋子さんはすごく好きな作家で個展もドキドキしました。『美術手帖』2008年7月号「日本のアーティスト 序論」特集もあったし、アートバブルという言葉も聞かれるようになって、一般に国内の現代アートに注目も高まっていた時期だと思う。この夏はちょうど東京都現代美術館で「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」、青森県立美術館で鴻池さんの個展「鴻池朋子展 メディシン・インフラ」が始まるので楽しみです。シーンやアーティストの変化を振り返る機会になりそう。 もうひとつ、2010年「トランスフォーメーション」(東京都現代美術館)はマシュー・バーニーやイ・ブル、アピチャッポンなどスター作家が揃った充実の展覧会で印象深いです。中沢新一さん・長谷川祐子さんの共同企画で、本展が示した変容・流動する身体、人間とノンヒューマンの関係という要素はいまも興味深いテーマだと思います。 2013年に『美術手帖』編集部に入ったので、③からはアートに仕事で関わるようになった時期。仕事で行った展覧会では、池田学さんの表紙巻頭特集で取材した2017年「池田学展 The Pen ―凝縮の宇宙―」(佐賀県立美術館)はインパクトありました。大迫力の新作をはじめ作品が素晴らしかったし、池田さんの故郷での個展だったこともあり、佐賀の人々の熱気と歓迎ムードがすごくて、故郷に錦を飾るとはこういうことかと感動しました。 ④は、2019年「イケムラレイコ 土と星」(国立新美術館)をあげたいです。産休中で赤ちゃんを連れて初めて見に行った展覧会。そこでイケムラさんの母子像たちを見て、光で射抜かれるような、諭されるような、なんとも言えない感慨を覚えました。 もうひとつ2019年「⻘野⽂昭 ものの, ねむり, 越路⼭, こえ」(仙台メディアテーク)は、人生でいちばん感動した展覧会のひとつ。展覧会でこれほど震撼するような体験は後にも先にもないですね。東日本大震災というあまりに大きな出来事と作家の人生が交差して、それ以前から作家が積み重ねてきたものがまた新たな意味をもち、壮大なスケールで表現された。私はふだん幽霊とか信じていないけれど、あの展示では、もういなくなってしまった人々や不可視の存在を感じざるを得ない、異界のような磁場が生まれていたと思う。 思い出していたらエモくなってきますね、長くてごめんなさい。 2020年以降はジェンダー視点やフェミニズムに関する展覧会をたくさん見られて、毎回パッションを受け取っています。ここ3年くらいの展覧会でも印象的なものはたくさんあるけど、それはTABのレポートに都度書いているのでそちらを読んでくださいということで。 ハイス:2008年に来日しましたので、それ以前の展覧会は残念ながらわからないです。当時は日本のアーティストもほとんど知っていなくて、どちらかというとトレチャコフ美術館に並べられているようなファインアートに興味を持っていましたね。留学や大学院進学が忙しくて、記憶に残る展覧会はかなり最近のものしかないですが、「ヨコハマトリエンナーレ2017『島と星座とガラパゴス』」をよく覚えています。動物が好きなのでポスターのカメの方が強く記憶に残っているかもしれませんが、横浜美術館の外壁に設えたアイ・ウェイウェイの救命ボートと救命胴衣のインスタレーションも印象的でした。同年にはミュンスター彫刻プロジェクト2017とドクメンタ’14も開催されていたので、ドイツまで両方を見に行った私にとって特別な年でした。 翌年に大学周辺で開催されていた「シアターコモンズ’18」を友達と一緒に見に行って、森村泰昌のレクチャーパフォーマンスとマーク・テの演劇に圧倒されました。関心を寄せていた社会問題にキレ良く立ち向かう作品が多く、とても濃くて印象的なラインアップでした。ピンと来たので、シアターコモンズのインターンシップに応募して、数年制作や翻訳のサポートもやりました。 同じく2018年ですが、どうしても頭から離れないイベントがあり、ぜひ紹介したいです。霜田誠二さんというパフォーマンス・アーティストが90年代から主宰している「日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバル(ニパフ)」です。成城にあるアトリエ第Q藝術の地下に行われた23回目のニパフだったと思います。もぐもぐ食べたチョコレートを手に吐き出した武谷大介さんに手を差し伸べたんですね。そしてら、自分の手にもチョコレートがついて、最後は手が舐められました。楽しい夜でした(笑)。 Tokyo Art Beatに入社してから圧倒的に展覧会に行くことが増えてきましたし、実感はそれほどないですが、現代アートも身近になっているかもしれないです。これからの20年間は日本で暮らして、もっとアートを見て、ブックマークやコメント・メモして、また振り返りたいですね。 田原:2004年のヴォルフガング・ティルマンス:Freischwimmer(東京オペラシティ アートギャラリー)は自分がアートの世界に踏み込むターニングポイントとなりました。また、NTT ICCがあったからこそ、東京に出てきたようなものでした。最初に足を運んだ「美術館」だったほど、存在は非常に大きかったです。北海道の地方都市に住んで現代思想に憧れ購読していた『Inter Communication』誌とその連携する機関への期待は、「東京」という都市に対してと同等のものでした。 2009年の「No Man's Land」はフランス大使館の移転の際の建物全館を用いた展覧会で、複数企画が混在したり、パフォーマンスも多数あってTABのような媒体があってこそ知る機会も多かったように思います。その後のBCTIONなど、東京でのスクラップアンドビルドのアートイベントとしての先駆けと言えるかもしれません。 2011年5月、渋谷駅の岡本太郎の壁画《明日の神話》にChim↑Pomが「いたずら」をしたとして、話題になりました。当時Twitterが東日本大震災をうけてインフラの受け皿となり始めていたころで、マスメディアが取材する前に、現場に自転車で駆けつけてまだ画質の粗いiPhoneのカメラでTABのTwitterにアップしたことを覚えています。現在はTwitpicすら表示されなくなってしまいましたが、その時の反響は大きく、厳密には「落書き」ではないのにそう報道されたりなど、なおのことファクトを正確に伝えるアートのメディアとしての必要性を強く感じました。 カオス*ラウンジ新芸術祭は3年連続で開催されたいわきでの芸術祭で、すでに日本各地に乱立する「芸術祭」のあり方が再検討されていて、なおかつ震災の爪痕を未だに感じる時期でもありました。さらには市街劇というツアーのあり方もあとにも先にも続いていないものに思えます。その後人気になるアーティストが多数参加していたのも思い出深いです。 2017年に開館した杉本博司の江之浦測候所は、開館してしばらくしてから行きましたが、それまで何度も作品を見てもピンとこなかったのが「あ、これをやりたかったんだ」と得心がいった、そんな場所になっていました。2010年代後半になり、日本の現代美術に携わるアーティストが行き着く先のひとつを見せてくれた象徴でもありそうです。ほかに草間彌生の草間彌生美術館や、奈良美智のN's Yardもほぼ同じタイミングで一般に公開されましたね。 福島:ちなみに井嶋さんはどうですか? 井嶋:わたしは2020年頃からアートの展覧会に行くようになったので、それ以降の展覧会になってしまいますが、すぐに思い出したのは2022年に開催された「甲冑の解剖術 ―意匠とエンジニアリングの美学」(金沢21世紀美術館)です。まるで甲冑と目が合っているかのような展示手法や、現代の甲冑として「スニーカー」に焦点が当てられたキュレーションに、アート概念の広がりや、作品同士が時代を超えて影響しあう場としての展覧会の可能性を強く感じたことを覚えています。もうひとつあげるとすれば、これは最近の展示になってしまいますが「BOLMETEUS」(SAI)や「獸(第2章 / BEAUTIFUL DAYDREAM)」(CON_)は、展示内容はもちろん、アートに対する向き合い方の部分でも、20代前半の自分にとってはじめて身体の内側から共感できる現代アートの展覧会でした。もしTABの25周年にまたこのような振り返りの機会があったら、その時にも入ってくるような展覧会かもしれないななんて思っています。