90年代に「再発見」された「日本の70年代フォーク」たち…曽我部恵一が明かす、その「特別な魅力」
簡単に触ると火傷してしまいそう
――決してポップなサウンドとは言い難いと思ますが、山平和彦さんの一連作も、未聴の方はこの機会に是非聴いてもらいたいですね。 曽我部:僕も、『放送禁止歌』(1972年)を聴いた時ときのインパクトは忘れられないです。どちらかといえばURCのアンダーグラウンドな流れを感じさせる人ですよね。 ――今注目すべきポイントとしては、自身のルーツである秋田の伝統的な要素とコンテンポラリーなフォークのスタイルを融合させている点が挙げられると思っています。 曽我部:そうですね。 ――この時代のフォーク・シーンで、ドメスティックな音楽のアイデンティティとはいかなるものかという問いに最も自覚的に取り組んでいた一人が山平さんだったんじゃないかと思っていて。 曽我部:たしかに。このジャケットを含めて、簡単に触ると火傷をしてしまいそうなオーラを放っていますよね。このあとフィリップスに行って出した『星の灯台』(1975年)も素晴らしくて、この人にしかない宇宙がある気がします。 東北つながりでいうと、友川カズキさんの『桜の国の散る中を』(1980年)も大好きだし、三上寛さんの『負ける時もあるだろう』(1978年)もいいアルバムですね。お二人はわりとアンダーグラウンドなフォークの極北みたいに捉えられていると思うんですが、海外の人と話していると、そのあたり日本のリスナーと近い感覚で聴いている人もいたりして、面白いなあと思いますね。 ――今挙げられた二枚のように、ベルウッドは1970年代後半以降のカタログにも素晴らしい作品が沢山あります。 曽我部:そうそう。その時代のベルウッド発の作品だと、やっぱりエンケンさんの『東京ワッショイ』(1979年)。これも心の神棚に飾っている一枚です。
ニュー・ミュージックの主流との架け橋
――今回デジタル配信が解禁された後期ベルウッドのタイトルの中でいうと、佐藤GWAN博さんの『青空』(1976年)が、シティ・ポップ的な聴き方もできるという意味で特に注目作かもしれません。 曽我部:そうですね。全体のラインナップからしたらちょっと毛色の違うアレンジですけど、是非聴いてみてほしいですね。これに関しては中古レコードもかなり高いから、是非再発してほしいなあ。 ――こないだ再発されたピラニア軍団の『ピラニア軍団』(1977年)も好評らしいですし、坂本龍一さんのアレンジ繋がりで、是非こちらもリイシューしてほしいですね。マイケル・フランクスの作品におけるクラウス・オガーマンのような、洗練の極みといえる編曲。 曽我部:そうそう。このアルバムの坂本さんのアレンジ、本当に絶妙なんですよね。一方で、「たんぽぽのお酒」のように、GWANさん本来のフォーク路線の曲も素晴らしいです。 ――反対に、後追い世代からは若干見落とされているような気がするという意味でいうと、ベルウッド発足のきっかけを作った重要アーティストである小室等さんのソロ・アルバム『私は月には行かないだろう』(1971年)、『東京』(1973年)、六文銭のアルバム『キングサーモンのいる島』(1972年)あたりにも是非光が当たってほしいなと思います。 曽我部:本当ですね。今聴くとすごくいいんだよなあ。沁みますよ。 ――アメリカン・ロック志向とかルーツ探求的な姿勢とはやや異質の美学を感じます。モダン・フォーク由来の端正さと歌謡性のようなものが上手く溶け合っている気がして。 曽我部:そうですね。後のフォーライフ・レコードに繋がっていくことからも分かる通り、ニュー・ミュージックの主流との架け橋になっているように聴こえます。音の緻密さということで言えば、もしかするとベルウッドの中でも随一クラスかもしれませんね。