ソフトバンク本多雄一コーチ、中学生に熱血指導 中西太さんとの思い出胸に 「その時分からなくてもレベルが上がってきた時に絶対生きる」
ソフトバンクの本多雄一1軍内野守備走塁兼作戦コーチが1日、福岡県大野城市の大野城市民球場で行われた野球教室に参加した。地元への感謝と恩返しを込めて中学生たちに熱血指導。野球教室の際にいつも頭に浮かぶのは、西鉄ライオンズの黄金期を築いた中西太さん(享年90)との思い出だった。 ■元タレント夫人と腕組みハニカミ2ショット【和田毅秘蔵写真】 この日の野球教室では、同じく参加したソフトバンクの柳町達と正木智也、廣瀨隆太の「慶応3兄弟」に実際に走ってもらい、子どもたちに走塁の重要性を伝えるなど熱血指導を行った。「熱血というか、彼らが上に行くほど大事になってくること。そのことに出会えるタイミングは今しかないと思う。僕も小さい頃、野球教室で中西太さんに教わったので」。中西さんとの思い出が、子どもたちへ指導する際の礎となっていることを明かした。 中西さんは、福岡を本拠地とした西鉄ライオンズの名選手で、「怪童」の愛称で親しまれた。西鉄で選手兼監督として1963年にリーグ優勝を果たすなど、計8球団で監督など指導者を務めて多くの選手を育て上げた。 「すごく元気のいい方だった」。野球教室に参加した小学校時代を思い出しながら本多コーチは中西さんを懐かしむ。学んだことは打撃だ。中西さんに力強いスイングを披露してもらった後「力強く振れ」と声をかけられたという。だが、本多コーチはティー打撃で思い切り空振りをした。「常に自分が力強く振っていなかったのを認識できた時だったと思う」。そう懐かしそうに振り返る。 そんな自身の経験から「その時、分からなくても頭の片隅に(知識として)あることで、中学や高校と技術やレベルが上がって来た時に絶対生きる」。さらに「今、プロの選手ってすごいなと思われていると同時に、絶対あなたたち(子どもたち)も結果が出るまで我慢して努力すれば多分できると思う」とエール。将来、子どもたちへの一つの気付きとなるよう、伝えている。(浜口妙華) 【#OTTOホークス情報】
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