今だから思える 「銀で良かった」 パリ五輪銀メダリスト赤間凛音選手 スケートボードで目指す世界の頂点
パリオリンピックで日本人選手が獲得した金メダルは20個。海外で開催された五輪の中では過去最多となった。4年に1度、その種目でたった一人にしか与えられない金メダルはアスリートにとって特別な価値を持つ。あと一歩で金メダルに届かなかった選手たちはどんな気持ちで次の大会を待つのだろう。次は2028年ロサンゼルス大会。スケートボーダー赤間凛音(あかま りず)選手は“そのとき”を待つ選手の一人だ。 パリ五輪スケートボード銀の赤間凛音選手「銀で良かった」今だから思えること
パリ五輪の激闘の陰で
2024年7月、パリ五輪スケートボード女子ストリート。予選を勝ち抜いた8人で争う決勝の舞台には赤間選手のほか、吉沢恋(ここ)選手、中山楓奈(ふうな)選手の日本代表3人が立っていた。赤間選手は「すごく緊張する」と思っていたが、激戦とも言える日本の代表枠争いの経験もあり、落ち着いて競技に入れたという。世界が注目する決勝の舞台。そこは自分らしい滑りを見せる場になっていた。この競技は制限時間45秒で自由に滑るラン2本と難易度の高い技に挑戦するベストトリック5本のうち、得点の高い3本の合計で争われる。2本目のランで89.26点の高得点を出した赤間選手はベストトリック1本目も92.62点と見事に決め、2本目も84.07点と暫定で首位に立つ。しかし、1歳下の吉沢選手がベストトリック4本目でこの日最高の96.49点を出し逆転。最後の5本目、赤間選手は逆転をかけた技に挑戦するも着地に失敗。目の前に見えていた金メダルは同じ日本のライバルの手に渡った。 「金メダルに恋した14歳」日本中が吉沢選手の快挙に沸く中、15歳の赤間選手は大会を通じて応援してくれる人が増えたことを喜びながらも、2カ月ほどは悔しいという気持ちが強かったという。
「体幹が強く素直」赤間凛音選手
仙台市に生まれ、小学2年生でスケートボードを始めた赤間選手。指導をしたプロ選手は「体幹の強さと素直に話を聞いて取り組む姿勢が他の子供より際立っていた」と振り返る。 才能はみるみる開花。2021年7月の東京五輪で日本代表の最終候補まで残るが、惜しくも落選。その悔しさをばねに練習を重ね、同年12月の日本選手権では、東京五輪金メダリストの西谷椛(もみじ)選手を破り、優勝を果たした。 取材を通して感じる赤間選手は恥ずかしがりやで努力家。中学生のときは、平日放課後には車で20キロ以上離れた隣町の練習場へ送ってもらい3時間半練習して帰る毎日。土日は新潟県まで遠征して練習と、家族の支えを受けながら誰にも負けない努力を続けてきた。 今は仙台市にある東北高校に通っている赤間選手。東北高校は羽生結弦選手やダルビッシュ有選手を輩出したスポーツの名門校。大会遠征への理解も深く、学業とスケートボードを両立しながら練習を重ねられているという。