新大河「光る君へ」に見る「血筋の秩序」 「血の論理」「家の論理」が息を吹き返したいまの日本
日本社会に厳然たる「家の論理」
「血の論理」は「家の論理」でもあるが、時代によって両者は微妙にズレを生じる。 『源氏物語』の時代、日本社会は天皇を家長とするひとつの「血の家」であり、藤原ファミリーはその頂点に君臨した。しかし鎌倉時代になると、武家の棟梁としての鎌倉殿が、御恩と奉公によって御家人を抱え、それぞれの武士も家の子、郎党を抱えるというかたちの「家の転換」があった。「血筋の秩序」としての家から、実力で領地を争奪し管理する「地=武の秩序」としての家に転換したのである。 当然ながら、武家の家もまた「血の論理」によって維持される傾向にあり、必要な場合には養子縁組などによって、その家の実質的な力を維持する手法が取られた。つまり武家の世においても、安定状態においては「血の論理」(養子を含め)が家を存続させるが、乱世となれば、血筋の秩序の下位にある実力ある者が家を治め、あるいは簒奪する下剋上が起きる。 明治維新は文明開化を旨とし、福沢諭吉が説くように、知的能力のあるものが国家の要職につく時代となった。廃藩置県によって大名の「血の論理」も、秩禄処分によって「武の論理」も姿を消し、「知の論理」としての地方の秀才俊才が、青雲の志を抱いて東京に集まり、藩に代わる家の論理としての国家を牽引した。 しかし産業革命とともに財閥が形成され、資本主義的階級格差が顕著になると同時に、左翼、右翼、両翼の反体制思想が台頭する。結局、民族主義的な「血の論理」と軍部の「武の論理」が一体化して「国家という家」の論理が強化され、幅広い国際感覚と冷静な判断力としての「知の論理」を抑え込むかたちのファシズムに向かう。 戦後は、戦前の秩序崩壊によって、再び実力主義の時代となり、受験競争に見るような「知の論理」が優先されたが、社会が安定するとともに再び、次に述べるような、日本社会独特の「血の論理」と「家の論理」が息を吹き返すのだ。