新大河「光る君へ」に見る「血筋の秩序」 「血の論理」「家の論理」が息を吹き返したいまの日本
日本文化の特性としての「血筋の秩序」
日本の古代すなわち奈良時代、平安時代は、貴族が政治の実権をにぎった時代である。奈良(平城京)は、インドから、ペルシャの影響も加わり、シルクロードを通過して中国を経て入った仏教という国際思想によって、寺院や仏像などヴィジュアルな文化が築かれた都であり、京都(平安京)は、遣唐使が廃止されたあとの国風文化において、仮名の使用による王朝文学の華が咲いた都であった。そしてこの二つの時代に圧倒的な権勢をふるったのが藤原氏というひとつのファミリーである。 このファミリーは、娘を次の天皇となる男子に嫁がせるということを繰り返し、天皇家の血筋と一体化することによってその権力基盤を不動のものとした。とはいえ、名目(氏族)としては天皇家そのものではなく、また不思議なほど武力から縁遠い、珍しい権力であった。平安王朝は、このファミリーの血筋の秩序が支配したのだ。 海外では、王家や貴族は、最終的には武力の頂点であることによって、その権力を維持しているのが一般的で、いわば日本における武家に近い。そしてその武力の保障が崩れることによって王朝が交代する。しかし藤原氏は、武の担い手が交代しても、天皇家とともに文化(特に和歌)の担い手として日本社会に君臨しつづけてきた。現在の近衛家、二条家、九条家、冷泉家などもその流れである。 島国の特性というべきか、日本社会には、文化的な意味における「血筋の秩序」が連綿と受け継がれている。王朝文学は、その世界にも稀な権力構造の上に誕生した文化であり、そこに『源氏物語』の国際的特質がある。
「血の権力・地の権力・知の権力」
およそ社会権力の根源には3種類あるような気がする。「血の論理」と「地の論理」と「知の論理」である。これは「ち」という音を合わせたもので「地の論理」は「武の論理」といいかえてもいい。歴史上、戦闘は領地の争奪に起因することが多く、海外の例を見ても、土地の論理と武力の論理は一体であることが多かった。また「知の論理」とは「文字の論理」でもあり、少なくとも電子メディア登場以前の社会では、文字階級(識字階級)=知的権力であった。 一般に、平和な時代には「血の論理」が重視され、乱世には「武の論理」が優先され、「知の論理」は社会を運営するためにどちらの時代にも必要とされる。しかしこれまで書いてきたように、人類は不可逆的に都市化する動物であるという前提に立てば、大筋において、歴史とともに「知の論理」が強くなる傾向にある。 歴史を見れば、ヨーロッパでも、中国でも、王なり皇帝なりが軍事の最高統括者であることが多く「血の論理」と「武の論理」が一体的であった。中世ヨーロッパでは、これに対して宗教としての「知の論理」(皇帝や王に対する法王や大司教)が対峙する構造であり、革命以前の中国では、漢字を扱う階級としての官僚という「知の論理」がこれを支える構造であった。 しかし日本では、天皇を頂点とする貴族の「血の論理」と土地を管理する「武(地)の論理」が分離される傾向にあった。僧侶階級としての「知の論理」はどちらにも絡んでいて、公家の時代には貴族が、武家の時代には武士が、文字階級として「知の論理」を兼ねていた。そこに藤原貴族の「血の権力」が安定した秩序を保った「古代」と、武士の棟梁すなわち「武の権力」が政治の実権を握る「中世」との線引きがあるのだ。