「監査役会設置会社」「指名委員会等設置会社」「監査等委員会設置会社」…曖昧さの残る仕組みは本当に機能するのか
斉藤 グリードとグリードのぶつかり合いで企業は強くなる。誤解を恐れずに言うならば、正当な手段による利益マキシマイゼーション(最大化)は正義です。新自由主義の経済学者、ミルトン・フリードマンにも「金儲けができる機会があるのにそれを見逃すのは愚か者である」という言葉があるくらいです。 あくまで合理性を前提として強欲がぶつかり合う中で企業は強くなり、技術が生まれ、人々にベネフィットを与える。とてもダイナミックな姿だと思うのですが、日本の場合は合理的、論理的なデータをもとに議論しないんですよね。 八田 確かに、日本人は非常にエモーショナル(情緒的)ですからね。 斉藤 歴史が長い島国である日本人のキャラクターなんだろうと思いますが、国力の観点からすると、非常に危ない気がします。 ■ 日本の社外取締役が「株主代表訴訟」の洗礼を受ける時 ■ ガラパゴスでエモい日本の「監査等委員会設置会社」 八田 エモーショナルな国であるゆえなのか、日本の株式会社には世界に類を見ない3つの形態の機関設計があります。1つ目は監査役(会)設置会社。2つ目は指名委員会等設置会社。そして3つ目が監査等委員会設置会社です。 日本の監査役(会)設置会社は100年以上の歴史を持ちますが、これがまず海外では理解されない。日本は本来、執行の監視役であるはずの取締役が執行も兼務してしまうので、監視役を別途設ける必要があり、そこで誕生したのが監査役です。 ところが、この監査役がどうにも機能しない。事実上、人事権を社長が握ってしまっているので、監査役は取締役になれなかった者の“上がりのポスト”になってしまっている。当然、社長に忠実で、監視どころじゃない。 そこで何とかアメリカ型の実効性が高いガバナンスを導入したいという法務省の考えをもとに、指名委員会等設置会社が2003年に誕生したわけです。コーポレートガバナンス・コードも指名委員会等設置会社を念頭に置いていますよね。しかし、これがまた“欠陥商品”だったわけですよ。 斉藤 指名委員会、監査委員会、報酬委員会の3つの委員会すべてを必置にしましたからね。アメリカでは監査委員会以外の設置は任意だったのに。