「自分だけ帰ってきてごめんなさい」曽我ひとみさん ともに拉致…母・ミヨシさん93歳の誕生日 22年前の帰国時“悲しい表情”の理由
■帰国直前のショック “あの日から母が行方不明”
2002年、運命が動き出す。日本と北朝鮮が史上初の首脳会談を行い、金正日総書記が日本人を拉致したことを認め、謝罪したのだ。 ひとみさんは一時帰国できる拉致被害者の1人に選ばれ、帰国する5人が平壌に集められた。「めぐみさんと一緒に帰れる」ひとみさんはそう信じていたが、そこにめぐみさんの姿はなかった。ひとみさんは、自分の担当指導員に、めぐみさんはどうしてここにいないのか聞いた。指導員は「自分たちにはわからない」と答えたという。 その後、帰国直前に日本から来た事実調査チームと面会する中で、ひとみさんは大きなショックを受けた。日本にいると思っていた母が、自分が拉致されたあの日から、行方不明になっていることを知らされたのだ。
■「私の目で確かめるしかない」 ひとみさんからの手紙
私は2002年に思った疑問を改めてひとみさんに聞いた。24年ぶりに帰国した時、なぜ悲しそうな表情をしていたのか。 「自分だけ帰ってきてごめんなさいって直接言いたかったですけどね。まだそれが現実のものになっていないので、本当にそこが一番悲しいというか苦しい」 拉致被害者であり、被害者の家族でもあるひとみさん。24年ぶりに日本の土を踏んだのに、喜びよりも大きかったのは“罪悪感”だったという。 ひとみさんは取材に対し、以前手紙でも苦しい胸の内を明かしてくれていた。 【曽我ひとみさんの手紙より】 北朝鮮は お母さんは日本にいると言う。 日本は お母さんは日本にはいないと言う。 私の目で確かめるしかない そして 絶対に母に会いたいと 強く願っていました。 そして タラップを一人で降りる時も どこかで母の姿をずっと探していました。
■自身も北朝鮮でつらい日々を過ごしたからこそ
その後は、北朝鮮に残してきた夫と娘を日本に呼び寄せることはできたものの、母を取り戻すことはかなわなかった。 高齢者福祉施設で介護の仕事に就いたのも、母を思ってのことだった。泊まり勤務などもこなしながら、休日には母の救出を訴えて講演活動や署名活動を行った。 北朝鮮に拉致されて46年。母・ミヨシさんは12月28日で93歳になった。自身も同じように北朝鮮でつらい日々を送った経験があるからこそ、わかることがある。 今この時間にも、拉致被害者たちは、ずっと日本を思っている。日本に帰る日が来るのを待っている。だからこそ、命が尽きる前に救い出してあげたい。 今回の取材は、一問一答のやり取りで行った。だからこそ、ひとみさんの肉声から、その強い思いがより伝わってきた。「あきらめない、あきらめない」。ひとみさんは、日本海を眺めながら、かみ締めるように繰り返した。