「自分だけ帰ってきてごめんなさい」曽我ひとみさん ともに拉致…母・ミヨシさん93歳の誕生日 22年前の帰国時“悲しい表情”の理由
■姉妹のような2人 「私だと思って」と渡されたもの
1978年8月、ひとみさんは新潟県佐渡市で母・曽我ミヨシさんと自宅近くの雑貨店に買い物に行った帰り道、突然北朝鮮の工作員に拉致された。 当時19歳。母とはその瞬間から引き離され、指導員に「母親は日本にいるから心配するな」と説明された。
北朝鮮に連れて行かれたひとみさんは、数日後、前年に拉致された13歳の横田めぐみさんと招待所で出会う。 突然連れ去られ、家族から引き離された2人の少女は、北朝鮮という異国の地で支え合って生活したという。指導員の目を盗んでは、夜寝室のベッドの中でこっそり日本語で会話する2人。めぐみさんは、母・早紀江さんはいつもいい匂いがすること、部活からの帰り道にいきなり拉致されたことなどを話したという。そして、時折気持ちがあふれたように「帰りたい」という言葉も口にした。 姉妹のように支え合っていた2人。しかし、別れの時が訪れる。ひとみさんが、在韓米軍から北朝鮮に脱走したジェンキンス氏と結婚することになり、一緒に暮らすことができなくなったのだ。 めぐみさんは、別れ際にひとみさんに赤いスポーツバッグを贈った。それは、めぐみさんが新潟市で拉致された時に持っていた、大切な思い出の品だった。「私だと思って持っていて」めぐみさんはそう言って、かばんを渡したという。 ひとみさんは、そのかばんを大切にし、外出するチャンスがあると必ず持って行った。たまたま近くをすれ違うことがあったら、かばんを目印にして自分を見つけてくれるかもしれないと思ったからだ。かばんの内側には「横田めぐみ」の文字があり、北朝鮮の指導員に見つかれば取り上げられる可能性もあった。ひとみさんは、名前の上に紙を貼って隠した。めぐみさんの名前を黒く塗りつぶすようなことはしたくなかったという。 それから、ひとみさんがめぐみさんと会うことは二度となかった。ひとみさんは娘2人を出産し、家族を心の支えに生きながらえたという。