見た目も乗り味もアメリカンマッスル!! 三菱スタリオンは三菱スポーツ4WDの元祖
限定からカタログモデルへ!!
後付けでフェンダーを膨らませるのをオーバーフェンダー(通称オバフェン)と呼ぶが、ボディと一体にフェンダーを膨らませるのがブリスターフェンダーだ。スタリオンで『ブリスターフェンダー』という言葉を覚えた若者は多かったはずで、筆者もそのひとりだった。 スタリオンGSR-VRは片側30mmフェンダーが拡幅されているのだが、たった30mmと侮るなかれ、その迫力、カッコよさは異彩を放っていた。 このワイドボディのスタリオンは、1988年にカタログモデルとして再登場した。限定モデルだったGSR-VRのエンジンが2Lだったのに対し、2.6Lに排気量アップし車名もスタリオン2600GSR-VRと命名された。この2.6Lエンジンは前述のダッジコンクエストに搭載されていたエンジンで、以降はワングレードに集約された。 スタリオンは日本での販売が振るわなかったこともあり、多彩なバリエーションを設定するにはコストがかかるため、コストダウンのために1モデルとしたようだ。
低中速の加速感が凄い!!
2.6Lの排気量を活かしたトルクは強烈で、2Lとの加速は別レベル。スタリオンは北米向けがメインだったため、エンジン特性も低中速トルクを太くして、発進加速、クルージング時の燃費性能向上を狙っていた。当時はパワー至上主義で、上までどれだけ回るか、気持ちいいかが評価軸となっていたため、この点でスタリオンは不利となった。見た目以上に乗るとアメ車的だったのだ。 ただ、この三菱の低中速トルクを重視するというクルマ作りは、その後もアイデンティティとして継続され、1990年代に入ってから大きく評価されることになる。その意味では、スタリオンは悲運だったのかもしれない。
モータースポーツで活躍
スタリオンの特筆点としてはモータースポーツでの活躍は無視できない。スタリオンは国内外のラリーで活躍したほか、アメリカでは耐久レース、日本国内ではツーリングカーレースに投入され活躍。 特に当時大人気だったグループA規定の1985年の全日本ツーリングカー選手権の『インターテック』でデビューして以来、1988年に撤退するまで3勝を挙げるにとどまったが、いくつもの名勝負を演じた。