現代劇の女方・篠井英介「舞台上演1ヵ月前に、著作権者から中止の通達が。9年かけてようやく上演できた『欲望という名の電車』。今後もやっぱりブランチをやりたい」
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第31回は俳優の篠井英介さん。現代演劇の女方としてさまざまな舞台に立つ篠井さんは、2023年12月に劇団イキウメの『人魂を届けに』と、ケムリ研究室の『眠くなっちゃった』で紀伊國屋演劇賞を受賞。篠井さんの俳優人生に訪れた転機とは――。 【写真】筆者の関容子さんと。肩に手を柔らかく添えて * * * * * * * ◆9年の歳月をかけて夢を実現 では、篠井さんのライフワークとも言える『欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ作)に初めて出会ったのは、いつ頃だったのか。 ――最初はテレビだったんです。杉村春子さん、文学座の。金沢にいるとあんまり生の舞台に接することができないので、いろんな戯曲を本屋さんで漁るわけ。だからもう『欲望~』も読んでいたのね。 それがテレビで放送されると知って、画面の前にカセットレコーダーとマイクを置いて、家中の人に「黙っててね!」と言って録音しました(笑)。今でも大切に持っていますよ。 それを夜な夜な聴いていたから、僕が最初に『欲望~』のブランチをやらせていただいた時は、まったく杉村さんのコピーなの。でも誰もコピーとはわからないの。(笑) その後、生で杉村さんのブランチを初めて観たのは金沢で、僕が高校生の時かな。演劇部の仲間と二人で観に行ったんです。感動のあまり終演後も席から立ち上がれずにいたら、お客はもう誰もいないのに、なぜか大道具のバラシが始まらない。 そこで、「上がっちゃおうか」と二人で舞台に上がって、興奮して舞台装置のドアを開け閉めしたり。まぁ、不法侵入ですよね(笑)。今もその時の感動を覚えています。
篠井さんのブランチは、2001年から3回演じられている。しかし実は92年に実現するはずだったのが、当時の戯曲著作権所有者からブランチを男性が演じることに難色を示され、上演中止を勧告された。 ――そうなんですよ。上演権が取れて、もうお金も払ったのに、青山円形劇場で幕が開く1ヵ月前に、主役が男とわかって中止の通達が来ました。 僕たちも困り果てて、友人の弁護士に相談したら、裁判すれば多分勝てるけど、でも2年くらいかかると思うよ、って。 それで演出の盟友・鈴木勝秀くんが一週間で『欲望~』に似たようなテーマのオリジナル脚本を書いて、上演にこぎつけたんです。 僕はこの時から、メイクや衣装など見かけの女らしさを排除して、ほぼ生身に近い姿形で、舞台に立つようになりました。この8月に池袋で上演する『天守物語』もその線でまいります。 というわけで、第3の転機はやはり、2001年に『欲望~』をようやく上演できた時でしょうね。
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