レオス・カラックスの名言「僕にとってはカメラが、…」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。1983年、『ボーイ・ミーツ・ガール』で鮮烈な長編デビューを果たした映画作家のレオス・カラックス。彼にとって映画を作る意味とは? 【フォトギャラリーを見る】 僕にとってはカメラが、自分の内気さから抜け出す手段なんだ。 映画作家レオス・カラックスは、自身の青春時代を「孤独」の一語で表現する。内気なカラックスは、同年代の男女から常に孤立していたという。気になる女の子がいても、話しかけることなど夢のまた夢。彼女とその友達がよく出没するカフェでピンボールに興じては、こっそり見つめるのが関の山だった。したがって、彼が映画に目覚めたのは、必然だったと言えるかもしれない。カラックス自身の言葉を借りるなら、「孤独な者にとって、それが若い人であればなおさら、映画が与えるインパクトは大きい」からだ。 そんな映画に感謝を捧げるべく、長編デビュー作『ボーイ・ミーツ・ガール』を完成させたのは、23歳のとき。同作と続く『汚れた血』『ポンヌフの恋人』の3作は、ドニ・ラヴァン演じる主人公の名前をとって「アレックス三部作」と呼ばれ、今なおエバーグリーンな輝きを放っている。 カラックスは言う。「僕にとってはカメラが、自分の内気さから抜け出す手段なんだ」と。つまり、映画制作というチームワークが、彼を孤独から救ったのだ。しかし、カメラが彼にもたらした恩恵はそれだけにとどまらない。「僕の映画愛における「借り」のなかにはまた、女性との関係も含まれる。映画によって僕は、女性と出会うことができた」。実際、ヒロインを演じる女優たちに、カメラを通して公然と愛ある眼差しを注ぐことを許された彼は、うち何人かと実生活で結ばれている。 映画と出合ってなければ、「自分の人生がどこにあるのかわからないままだっただろう」とカラックスは語る。それが決して抽象的な意味でないことは、今や明らかだろう。孤独なカラックスにとって映画を作ることは、他者と出会い、ともに歩むことを通して、そのつど自分の人生の位置を確認するための手段なのだ。
レオス・カラックス
1960年生まれ。映画批評雑誌『カイエ・デュ・シネマ』で批評家として活動する傍ら、1980年に短編『絞殺のブルース』を制作。”アレックス3部作”以後の長編に『ポーラX』『ホーリー・モーターズ』『アネット』がある。また、オムニバス映画『TOKYO!』では、東京を舞台にした中編「メルド」を撮った。
photo_Yuki Sonoyama text_Keisuke Kagiwada illustration_Yoshif...