追悼・西田敏行さん:希代のエンターテイナーであり、〝信念の人〟
暗く、狂気を秘めた役柄を演じたことも
代表作といわれるものからは、おおらかで親しみやすい、コミカルなイメージがうかがえるが、私の印象に強く残っている作品は別にある。 NHK「新・坊っちゃん」(1975年)の山嵐、大河ドラマ「花神」(77年)の山県狂介(後の有朋)と「武田信玄」(88年)の山本勘助だ。ユーモラスというよりは、笑わず、ちょっと暗くて、見る人の心を冷え冷えとさせるような狂気を秘めたようなまなざし。関西テレビ「けろりの道頓」(99年)では大坂の道頓堀を作った安井道頓として、秀吉に無謀な闘志を燃やす。こんな役柄もあった。 10月19日に放送されたTBS「情報7daysニュースキャスター」で、脚本家の三谷幸喜さんは、「池中玄太80キロ」と同時期に放送されたTBS「港町純情シネマ」を取り上げ、当時、周りの人が皆、池中玄太がよいと言っていた中、自らはひとり「港町…」を高く評価していたと話した。コメディーではあるがマニアックで暗い感じのドラマで、池中とは正反対の役柄だったと語り、近年のイメージとは異なる西田さんを紹介した。 1980~90年代には、映画やドキュメンタリーの撮影で海外へ行くことも多かった。北極、アフリカ、南米、中国、トルコ、赤道直下の国々へも出掛け、過酷な撮影で死を意識したこともあったらしい。 さらに、81年には歌手として「もしもピアノが弾けたなら」でNHK紅白歌合戦に出場、94年からはミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」に主演し、豊かな響きで多くの人を魅了した。声の仕事も多く、出演中のテレビ朝日「人生の楽園」のナレーションは心地よかった。2001年からは朝日放送「探偵!ナイトスクープ」で2代目局長として20年近く司会も務めている。 いったいこの人にはいくつの顔があるのだろう。どれもが素晴らしく、それが努力のたまものであることは容易に想像がつく。一生懸命勉強して人間を観察する目を磨き、自分のことも人のことも、たくさん知ることが大事だとインタビューで語っていたことを思い出す。