TV局アナウンサーから難民支援の道へーーウクライナで1年、青山愛の今
──実際に、現場に出て難民や国内避難民の方々の支援をする中で、何を感じましたか? 私が支援を届ける側というよりも、現地の方々から与えてもらうことや学ぶことの方がずっと多いということです。 ここウクライナでは、高齢の女性の話を聞く機会がよくあるのですが、毎回みなさんの強さやたくましさに触れています。昨年末に会ったカテリーナさんは、家が破壊されてまだぼろぼろなのに、庭仕事を始めていて。「この冬を乗り越えて、春になったら、私はここで野菜を作らないといけないから」と、懸命に前を向いていました。 今年2月キーウ近郊の村で出会ったニナさんは、お孫さんを戦闘で亡くされていたにもかかわらず、気丈に出迎えてくださって。私が「毎朝起きようと思うモチベーションはどこからくるのですか」と尋ねると、こうおっしゃったのです。「それでも私たちは生きるしかないから」と。 適切な言葉が見つからないのですが、全てを失ってもなお、他者に感謝をしながら、温かさを持って生きようとする方々と接する度に心を動かされます。生きることを諦めずに、生活を再建しようとする人たちと過ごしながら、そのプロセスに携わらせていただくことがprivilege (光栄)だと感じます。 私は「人道支援家として」とか、何か崇高な思いや壮大なミッションを持っているわけでは決してなくて。朝起きると、「私にも何かできることがある」。ここで私が仕事を続ける理由は、本当にシンプルなのだと思います。
他者を受け入れてこそ発揮できる自分らしさ
──今、世界で故郷を追われている人が1億人以上いる一方で、日本ではまだまだ難民が遠い存在であるように感じます。 ありきたりな答えになってしまいますけれど、やはりまずは知ること。そのために例えば日本でも、難民の方々が学校に訪問をして一緒に何かをするなどの機会が増えればと思います。そうした過程を経ることで、知らない国の「難民」という括りではなく、一人の人として想像力を働かせることができるのではないでしょうか。 そして何より、今回のウクライナの人道危機では、日本のみなさんからたくさんの支援が届きました。遠く離れたウクライナにこれだけ思いを馳せることができるのであれば、例えば南スーダンやイエメン、エチオピアの方々にも、思いをつなぐことがきっとできると感じます。そのためにも、現状を発信し続けるのが私たちの役割だと思います。