2年前の地元グランプリはペナルティで出場権喪失「プライド邪魔していた」ガールズケイリン尾崎睦が“再起”果たし6年ぶりの夢舞台へ/インタビュー後編
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。今回は6年ぶりにガールズグランプリに出場する尾崎睦選手(39歳・神奈川=108期)に取材。ビーチバレー選手から競輪選手に転身した尾崎は順調な船出で2年目でGP初出場を果たすが、近年は失格によるペナルティでGPの権利を逃すなど苦しい時期も経験。インタビュー後編では、6年ぶりの大舞台ではデビュー当時の夢を胸に、全力で挑む。
滝澤正光校長からの激励
2014年の春、伊豆修善寺にある日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)に入学。当時はまだ乗り込み重視で、基礎からたたき込む練習がメインだった。 「ビーチバレーの練習でずっとボールを触っているってことはなかったので、こんなに自転車に乗るの?ってびっくりしました。とにかく乗り込みの基礎トレーニングが多かった。結果的には自転車未経験の自分にとっては大事な時間だったと思いますが、当時は苦しかったですね」 GP・2勝、GI・12勝のレジェンドである競輪学校の滝澤正光校長もバレーボールから適性試験で競輪界入りした経緯がある。尾崎も入学前から滝澤校長の存在は知っていた。 「滝澤校長はバレーボールから競輪で成功した人とは知っていました。最初のころは雲の上の存在で話すことはできなかったけど、T教場(滝澤校長が直接指導をする教場)のメンバーに選ばれてからはお話をすることが増えていきました」 覚悟を決めて門を叩いた競輪学校。同期には児玉碧衣らがいるが、いろいろな思い出がある。 「一番の思い出はロードワークで海に行ったときのこと。休憩中に『砂に目標を書いてみろ』と言われました。自分は『ガールズグランプリ優勝』って書いたのに、(児玉)碧衣ちゃんは『朝起きる』って書いたんです(笑)。先日養成所にいく機会があり、滝澤校長と話をしたらこの話を覚えていてくれて『朝起きるって書いた児玉がガールズグランプリを3回も優勝(笑)。尾崎も頑張らないと』って言ってくれました」 自転車の基礎は師匠の渡邊秀明から学んだが、その上にある土台は競輪学校時代の滝澤正光校長によって作られたと言っても過言ではない。 「入学当時は周回練習が嫌で苦手だった。ちぎれることも多かったけど、滝澤校長から『もったいないぞ。ステーキは最後に残しておくだろ。一番おいしい部分は最後に食べるだろ。周回練習で苦しくなってちぎれてしまうのは最後のおいしいところを食べないのと一緒。そこで踏ん張って最後までもがけば、おいしいものが待っている』と教えてもらいました。そのおかげで苦しくなってからでも諦めないで踏めるようになりました。今でもレース中苦しい展開になったときは滝澤所長のニコニコした顔を思い出して頑張っています」