2年前の地元グランプリはペナルティで出場権喪失「プライド邪魔していた」ガールズケイリン尾崎睦が“再起”果たし6年ぶりの夢舞台へ/インタビュー後編
108期は高校卒業後すぐ競輪学校に入学した高卒現役組が大勢いた。自転車経験者も多く、尾崎は同期から学ぶことが多かったと振り返る。 「年は10歳離れていたけど高校時代に自転車競技で活躍していたメンバーは尊敬していました。(元砂)七夕美ちゃんはペダリングが綺麗だなと思って見ていて、勉強になることが多かった。自分と同じバレーボールから適性試験で入った児玉碧衣はお風呂場で暴れてケガをしたり、天真爛漫でしたね(笑)。私は『自分には次はもうない』って思いで毎日を過ごしていたので、楽しいよりも必死でした」 滝澤校長を筆頭に教官たちの指導や、同期から刺激を受けて毎日トレーニングを重ねていった結果、108期の在校1位と卒業記念レース(静岡)を優勝。努力を実らせて、ガールズケイリン選手としてのスタートラインに立った。
順調な船出、2年目でグランプリ初出場
デビューは2015年7月川崎。いきなり優勝とはいかなかったが、予選は連勝で勝ち上がり、在校1位&卒業記念レース優勝のポテンシャルを競輪ファンにアピールした。デビュー3場所目の広島で初優勝も決めて、1年目は優勝6回と好成績を収めた。 2年目も快進撃が続き、5月には初めてのコレクション挑戦(松戸・4着)。年末のグランプリにも初出場(立川・5着)と順調にステップアップ。グランプリには17年から3年連続で参加とガールズケイリンの中心選手へと成長を続けていった。 しかしビッグレースには縁がなく、年々優勝回数も減っていってしまった。 「年々ガールズケイリンのレベルが上がっていくことは走っていて感じました。競輪学校で滝澤校長に『先行、先行』って言われて先行で戦ってきたけど、レベルが上がっていけばいくほど先行で勝つことの厳しさが分かってきた。いままでと同じように走っても勝てないなと感じることが多くなっていきました」
ペナルティでグランプリ出場権を喪失
2019年からは毎年賞金争いボーダー付近にはいるが、なかなか抜け出すことができず、最後のグランプリトライアルで悔しい思いをすることが多くなっていった。 極めつけは2022年、地元平塚でのグランプリ開催を失格2回のペナルティで出場権を失ってしまったときだ。 「2022年の平塚は地元開催だし、グランプリに出たいという気持ちを強く持って走っていた。でも今振り返ると落ち着いちゃったというか、ガールズケイリンに慣れすぎてしまっていたのかもしれないですね。ただひたすら毎日練習をして、グランプリに出るために、レースを走っていた。賞金争いで勝つためには本数を走らないとダメですから。モーニングからナイター、ミッドナイトまでいろんな時間帯で走って、精神的に苦しかった。岸和田と静岡の失格でプチンと緊張の糸が切れてしまったのかもしれないですね」 この失格でグランプリへの道が断たれたが、その後も尾崎は走り続けた。 「失格直後の平塚を走ったんですけど、この平塚開催はグランプリを走れない分、頑張ろうと思って臨みました。この開催に碧衣ちゃんがいたんですけど、なんだかよそよそしくて。後から『むっちゃんになんて声をかけたらいいか分からなかった。自分だったら辞めているかもしれん』って…気をつかってくれていたんですね。自分自身、何とかこの平塚開催は優勝で終わることができたけど、その後は燃え尽きたような状態になってしまいました」 ガールズケイリン選手を目指す動機となったガールズグランプリを優勝するために頑張ってきたが、身も心もボロボロになり、目標を失いかけてしまった。