なぜマラソン東京五輪代表の大迫傑は現役復帰を決断したのか…刺激を受けた2人の年上ランナー
シカゴマラソンの1~2日後、大迫は現役時代にコーチを務めていたピート・ジュリアンに思いをぶつけている。 「僕自身も早く誰かに言いたかった。自分のなかでとどめておくと、『やりたい』という熱量がどんどん下がってしまう。自分のなかでやった方がいいなという感覚だったので、すぐにピートに話したら、彼も『いいんじゃないか』と言ってくれたんです」 その後、大迫は新たな夢を抱えながら過ごしてきたことになる。現役復帰を表明するまでに、駅伝やマラソンでテレビ解説を務めた。ニューイヤー駅伝と箱根駅伝では区間新が連発したが、大迫は特にワクワクした部分はなかったという。ただし2月6日の別府大分毎日マラソンで2学年上の鎧坂哲哉(旭化成)が2時間7分55秒で2位に入ったことには感化されたようだ。 「別府大分は第1移動中継車に乗らせていただいたこともあり、先頭集団の臨場感が伝わってきました。そのなかで2017年から一緒に練習してきた鎧坂選手が好走したのはうれしかったですし、刺激になりましたね。レース翌日に、動画を含めて現役復帰のリリースを出したくらいですから」 ラップと鎧坂。ふたりの年上ランナーの活躍からエネルギーを受け取り、大迫は現役復帰に向かって歩き始めたことになる。現在はどんなコンディションなのか。 「Sugar Elite kidsで子供たちと結構走ってきたので、思ったほど(体力は)落ちてないですけど、現役時代の走りと比べると、まだまだ不安定な部分がありますね。マラソン後に休んで、ちょっと練習を始めたぐらいの感じだと思います」 現役復帰といってもさほどブランクがあるわけではない。8月8日の過酷なレースで完全燃焼しただけに、そのダメージは大きかっただろう。現役時代なら春(3~4月)のマラソンを目指していたはずだが、今回は結果的に“長めの休養”になっただけといえる。フィジカル的に問題はなく、現役生活を離れたことでメンタル的にもしっかりとリフレッシュできたはずだ。 すでにトレーニングを開始しており、「ワークアウトの朝は緊張というかドキドキしています。そういう感覚は競技生活をしていないと味わえない。ドキドキがプレッシャーになりつつも、なんか心地よい感じはありますね」と新生活を楽しんでいるようだ。 トレーニングは日本だけでなく、家族が住んでいるアメリカ、マラソンの聖地ともいえるケニア、それからヨーロッパでも行うことを考えているという。特定の拠点を作らずに「ベストな環境」を求めて上を目指していくようだ。 復帰レースは未定とはいえ、今後はマラソンを主戦場にしながら、トラックレースにも出場する予定。マラソンについては、「夏に大会が少ないので、今年の秋冬か、来年の春ですかね」と話している。 パリ五輪を33歳、ロス五輪を37歳で迎えることになる大迫だが、未来の自分に大きな期待を寄せている。 「年齢的に衰えるといっても、やってみないとわからない。マラソンは30kmから別世界だという人がいますけど、僕はそう思いません。常識を疑うことができたら、自分でも競技をしていくのが楽しいかなと思います」 日本マラソン界のエースとして君臨してきた大迫だけに、鈴木健吾に塗り替えられた日本記録(2時間4分56秒)の奪回を期待せずにはいられない。しかし、大迫は自身が持つ“マラソン道”を崩すつもりはないようだ。 「記録や順位は気象条件と同じように、自分ではコントロールできません。記録や順位の目標を明言するよりは、これまで通り自分自身が今より向上することにフォーカスしてやっていきたい。前回のマラソンより、今回のマラソンというように、少しずつ競技力が良くなっていくことを目指します」 これまでと同じようにコツコツと積み重ねてきた結果が日本記録や五輪の活躍につながっていくという考えだ。 「東京五輪をひとつのゴールにしたんですけど、第2章として、どこまで世界と戦っていけるのか挑戦したいんです。また、これから育っていく選手たちの背中を押すだけじゃなくて、背中を見せて引っ張っていきたい。それができれば、僕自身もそうですけど、日本陸上界がもっと強くなっていくんじゃないかなと思っています」 大迫傑が現役生活を続けていく限り、世界トップに近づくことができるのではないだろうか。有言実行で何度も夢のシーンを見せてくれた男が好記録に沸く日本マラソン界に異次元のインパクトを与えることだろう。 (文責・酒井政人/スポーツライター)