歌舞伎症候群という難病の息子。生まれたときは妻にも僕にも似ていなくてとまどいも。それが病気の症状とは思いもよらず…【歌舞伎症候群体験談】
大学病院で診てもらっても、疑わしい病気が見つからない
楽くんが歌舞伎症候群と診断されたのは、白斑の診察がきっかけでした。 ――診察を受けたときのことを教えてください。 聖志 4歳になり白斑が大きくなって目立ってきたので、かかりつけの皮膚科を受診しました。当時は、新型コロナウイルス感染症が流行し始めた時期でした。医師からは「新型コロナもあるし、急ぐことはないけれど、念のため一度、大きな病院で診てもらってください」と言われました。コロナ禍で、すぐに予約は取れなかったのですが、半年後ぐらいに大学病院の皮膚科を受診しました。 大学病院の皮膚科では「白斑は、問題ありません」と言われました。 運動面の発達や言葉の遅れもあったので、同じ大学病院の小児科も受診しました。そのころの楽は、成長曲線で見ても標準を大きく下回っていました。小児科で内分泌、循環器の医師にも診てもらい、血液検査や心エコーなどもしたのですが、疑わしいと思える病気は何も見つかりませんでした。
神経外来で歌舞伎症候群の疑いを告げられ、親子で遺伝子検査を
初診から2カ月後、神経外来を受診したことで新たな展開が。 ――歌舞伎症候群と診断されたときのことについて教えてください。 聖志 小児神経の医師にも診てもらうように言われて、予約を取って初めて神経外来を受診しました。そこで医師に言われたのは「何らかの遺伝子疾患の可能性がある」ということです。もしかしたら楽の特徴的な切れ長の目や突出した大きな耳なども気になったのかもしれません。 その後、「歌舞伎症候群の可能性がある」と言われて、楽と私と妻が遺伝子検査を受けることになりました。 医師からは「歌舞伎症候群の原因は現在、KMT2D、KDM6Aという2つの遺伝子が特定されているけれど、まだ特定されていない遺伝子があると思われる」という説明でした。 真理子 医師から「歌舞伎症候群の可能性がある」と言われて、初めて歌舞伎症候群という病名を知り、すぐにインターネットで調べました。すると歌舞伎症候群の症状の中には、指先の腹が少し盛り上がっていると書かれていたんです。「フィンガー・パッド」と言います。「えっ?」と思って、楽の指先を確認したら手の指10本の指先の腹がすべて盛り上がっていて驚きました。 特徴的な顔立ちや低身長、運動発達や知的な遅れなども楽に当てはまりました。 聖志 診断がついたのは遺伝子検査から半年後でした。楽は5歳6カ月になっていました。 歌舞伎症候群の原因となる遺伝子は、今のところKMT2D遺伝子とKDM6A遺伝子がわかっています。楽は、KMT2D遺伝子のタイプで、親からの遺伝ではなく突然変異によるものと言われました。 これまでは「なんの病気だろう?」とずっと悩んでいたので、歌舞伎症候群と診断されたときは、夫婦ともに理由がわかってほっとしたという気持ちのほうが強かったです。 お話・写真提供/吉次聖志さん、真理子さん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部 歌舞伎症候群は、1981年に日本の医師によって初めて報告された病気です。目元が歌舞伎役者の化粧(隈取・くまどり)に似ているところから、この病名がつけられたと言われています。 インタビューの後編では、就学後の楽くんの様子について紹介します。 「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。 ●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。 ●記事の内容は2024年12月の情報であり、現在と異なる場合があります。
たまひよ ONLINE編集部
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